高松とメディナサバをつなぐ

今日は、養蜂研修や枠堰建設などで一緒に行動
することの多い、フリーの地元開発ワーカー(?)、
Amat Seck氏の新居へ行ってきました。


国立土壌研究所で枠堰建設の仕事を
請け負って働き、その給料で建てた家。
お金が足らず、まだ塗装、トイレ・シャワー、電気工事などが完了して
いませんが、来年からは奥さんと一緒にここに住む予定みたいです。


この家の前に広がる土地では野菜栽培を始めたようです。
彼自身は農民ではなく、彼が農作業を
しているところは見たことがありません。
しかし、農民対象の研修で教える側の立場には何度か
立っていて、さすが、きれいに整備された畑です。
オクラ、唐辛子、レタス、キャベツ、にんじん、玉ねぎなど、かなりの
種類の野菜を栽培するようで、今はそれらの育苗中です。

そのあと、彼と一緒に、メディナサバ第2小学校を訪ねました。
前回、この小学校を訪ねたときに、ここの校長先生から、
「うちの児童たちと、日本の小学生とで国際交流、たとえば、
文通なんかできないだろうか」と話を持ちかけられました。

実は俺も、中学3年生の頃に国際文通を始めました。
当時は英語があまり好きではなく、成績も良くなかったの
ですが、文通で英語を実際に使うことで、初めて、英語が
コミュニケーションのツールとなり、英語が好きになっていきました。

また、ちょうどそれぐらいのときから、海外に興味が出てきました。
テレビや新聞を通してのニュースやドキュメンタリー番組ではなく、
ガーナ、ブルガリア、ウクライナの同世代のペンパルから自分に
ダイレクトに届く、彼らの国のはなし、暮らしのはなし、
家族のはなしというのは、本当に刺激的で新鮮でした。

文通を始めて5年後の2002年にはガーナ、ブルガリア、ウクライナを
旅して、ペンパルたちと実際に会うにまで至りました。
ブルガリアとは途絶えてしまったものの、ガーナ、ウクライナの
ペンパルとは今でもネットでチャットをしてつながっています。

今、こうして青年海外協力隊としてセネガルで暮らして
いますが、今の自分の国際感覚の基礎は、今思えば、
あのときの国際文通で得たものなのかもしれません。

話がそれてしまいましたが、そういうわけで、ぜひとも
セネガル・日本国際文通をサポートしたいと思い、
さっそく、高松で教員をされている方に連絡。
その方に紹介いただいたのは、
高松市立第一小学校の5年生のクラス。
この第一小学校というのは、俺が通っていた松島小学校が、
周辺の小中学校5校と合併してできた新設校です。
高松市中心部の少子化は深刻です。
その、第一小学校が、メディナサバ第2小学校との
文通を快諾してくれたとの連絡が入ったので、その
ことを学校に伝えに行ってきたわけです。


子どもたちに説明をするAdama Cisse教頭。

日本のTakamatsuという街の小学生と
文通したい人は、紙に手紙を書きなさい。
それを、このPierre Meissaがフランス語から
日本語に訳して、日本の学校に送ってくれます。
また、日本からもみなさんに手紙が来ます。
手紙には何を書いてもいいぞ。
学校のこと、村のこと、家族のこと、家畜のこと、なんでも良い。
頑張った人は、日本に連れて行って
もらえるかもしれないぞー ←冗談です

さて、うまく高松とメディナサバの
子どもたちをつなげることができるかな。

おしり療養

今週火曜日から首都ダカールで療養しております。
原因は、尻。

10月半ば頃に尻に1つ、吹き出物ができまして、
はじめは気にかけてなかったのですが、それが膿んで、
固くなって、その周りにも吹き出物ができ始めて…。
ちょうどその頃、ダカールにいたので皮膚科を受診して、
抗生剤などを処方されて、それらを買って任地に戻ったのでした。

抗生剤は1箱5日分あって、服用しているうちは見事に、症状が
回復していくんですが、飲み終わった数日後にはまた、悪化。
幸い、メディナサバ村の薬局に同じ抗生剤が
売っていたので、それを買ってまた服用。
回復はするものの、これまた、飲み終わると悪化。
そんなことをしているうちに、今度は足の小さな傷が化膿
してきて、その周囲が熱を持ってパンパンに張ってきて。

そんな足や尻の写真を健康管理員にメール送信
して相談したところ、療養上京と相成りました。
抗生剤も服用して、本来であれば治るべきものが
治らず、身体の抵抗力が落ちてしまっているようです。

水曜にはある村で採蜜を予定していたの
ですが、電話して延期ということに。

上京した翌日に皮膚科を受診すると、
10月に受診したときよりも悪化した尻を見て
「Ce n’est pas bon.(良くない)」と。
さらに、自分で同じ抗生剤を追加的に買って服用
したことについても「Ce n’est pas bon.」と。
皮膚からの感染が体内に拡散すると更に
良くないので、血液検査も受けました。
今日、その結果が出て、体内の他の部分への影響は
ないものの、感染を示す血沈の値は高くなっていました。
尻に副腎皮質ホルモンの筋肉注射を一発くらい、
同じく、副腎皮質ホルモンの軟膏、抗ヒスタミン剤の
錠剤を処方され、来週金曜に再診です。

ちなみに、かわいそうな俺の尻の
写真の公開は自重しておきます。

セブンイレブン

今日は朝から昼過ぎまで、4村回ってきたんですが、
Medina Sabakh村への帰り道にある
隣村、Keur Ayip村で寄り道してきました。
ある、知っている人が最近、新しく店を開いたというので。

じゃーん。
2人のイスラム聖職者の絵が、なんとも威圧的ですが、
たまねぎ、食用油、調味料などを売る、ごく普通の店です。
そして、案外、ポップな雰囲気の音楽をガンガンに流しています。
「これ、CD?カセットテープ?」って聞くと、「いや、メモリーディスクと、
USBメモリから音楽データを読み込んで再生してるのさ」、と。
ハイテクだ。

実は彼は、つい最近まで…

馬車主でした。
この写真は、1月に開催した養蜂研修で、
資機材を村に搬送してもらったときのもの。
(このときは朝寝坊しやがったので、見積もり
よりも安い値段しか払いませんでしたが)

聞くと、馬車の仕事はなんせ、馬の食費が馬鹿にならないと。
ましてや、馬が病気や怪我すると商売になりません。
そういうわけで、月10,000FCFA(2,000円弱)の
テナント料を払って場所を借りて、店を始めたわけです。

このKeur Ayipという町はガンビアとの国境・検問があり、
ガラージュ(バスなどのターミナル)もある交通の要衝で、
電気、水道も当然、整備されていて、わが村、Medina
Sabakhよりも人口も多く、なんか、金持ちっぽい
家もちらほらあったりします。
そんな村の市場のどまん前に店を構えて
いるので、客の入りは良いみたいです。
来週火曜には州都へ、買い付けに行くとのこと。
さらに、今度は自ら農村へ行って、稗の買い付けもするつもりと。
仕入れ値がなんぼで、売値がなんぼで、という利益計算もやってました。

今日、ちょうど俺が訪ねたときは15時
ぐらいで、どこの店も昼飯、礼拝休憩中。
そんななかも、彼は営業していました。

「よく働くねー。何時から何時まで店を開けてんの?」って聞くと、
「朝7時から夜11時まで。」

セブンイレブンです。

rockな養蜂箱

先日、ある養蜂おっさん、Dianne氏と市場で会いました。

「Pierre(俺のセネガル名)がしばらく
居なかったから、自分で養蜂箱を作ったよ。」

ほう!

近々、Dianne氏の養蜂箱を見に行こうと思いながらも、ほかの
養蜂おっさんを訪ねたときに「Dianneさんは、自分で養蜂箱作った
みたいね」と言うと、さすがは養蜂仲間、そのことを知っていました。
というか、目撃していました。

「そうそう、こないだ、『養蜂箱を作るんだ』と
言って木材を買って帰るところを見かけたよ。」

Dianne氏はもともと、草を壷状に編んで、セネガル式
養蜂箱を自作して茂みに設置していました。
その彼が木材を買ったということは、雨季前に開催した養蜂研修で
習った、欧米式養蜂箱に初挑戦してみたということだろうか。

先日、彼を訪ねてきました。
ちょうど、落花生の収穫作業、午前の部を終えたところでした。
挨拶がてら、採れたての落花生をかばんに山盛りいただきました。
今年は雨不足で収穫が少ないのに。。。

養蜂箱の設置場所まで歩きながら、どんな
養蜂箱を作ったのかという話をしました。
すると、frigidaire(フリジデール)で作った、と。
何なのか、それは!?
(フラ語をちゃんと勉強している人はすぐ分かるはず。)


これ!
なんと、壊れた冷蔵庫を養蜂箱にしてしまったのです!
横倒しになって、ふたの面が上を向いています。
側面には穴が強引に数箇所開けられていて、
しかも既に蜂がそこから出入りしています。
蜂が居るので中を開けることはできませんが、
これを作るところを見たかった!
Dianne氏の説明によれば、中に2本、鉄骨をはわせて、
その上に木の棒を30本ぐらい並べてあるようです。
そう、この木の棒が重要なのです。
これがないと、蜂は巣をひとかたまりに作るので、採蜜のときに
巣を根こそぎ取るしかなくなってしまうのですが、木の棒を並べる
ことで、その棒に沿って、それぞれに独立した板状の巣が作られます。
採蜜のときは、蜜の詰まった巣板だけを取り、蜂児や卵の
詰まった巣板、最低限の食料として、蜜の詰まった
巣板数枚を残しておく、ということができるのです。

私が開いた養蜂研修で得た知識を養蜂家が
自分なりに加工して作った、冷蔵庫養蜂箱。
うれしいです。

ちなみに、この壊れた冷蔵庫は市場で
2,000FCFA(350円ぐらい)で買ったとのこと。


一方、彼お得意の草で編んだセネガル式
養蜂箱でも、蜂たちはせっせと働いていました。

さて、帰宅して、冷蔵庫養蜂箱の写真を
同居人に見せたら、感想は、「これはrockですねー。」

なるほど、あの新しさ、大胆さ、斬新さはrockなのかもしれない。

イスラム教のお祭り※グロ画像注意※

さて、10月はずっと任地を離れていた分、
ここ数日で一気に村を回ってきました。
Mbap、Pakala、Sangap Thiamene、Hamdallaye
Thiamene(不在)、Youna(不在)、Falifa、Keur Modo Diao、
Ndiagnene、Ndiawaraと、10ヶ村。


Mbap村のMady Cisse氏の養蜂箱。
6月に設置して以降、様子を見るたびにおびただしい数の蟻の
巣窟となっていて、何度掃除しても、すぐに蟻が戻ってくる有様でした。
しばらく、中のカートリッジを取り出してふたも開けっ放しに
していましたが、先日、Mady氏から「雨季も終わったことだし、
再設置してみた」という報告を受け、見てきました。
再設置から2週間ぐらい経っていますが、蟻の姿はありません!
あの蟻の大群は雨季のせいだったのでしょうか。
あとは蜂群が入るのを待つのみです。。。


Keur Modo Diao村のDjibril Diagne氏の田んぼ。
彼も養蜂箱を持っています。ぼちぼち、採蜜します。
その彼は今年、初めて、稲作に挑戦しました。
この地域の流行に乗ってみたわけです。
少雨のため、各地で全滅している田んぼ
ですが、彼はある程度、収穫ができそうです。
「初めての稲作で、この稲穂の状態で刈り取っていいものか
よく分からない。数本摘み取って、先輩稲作農家に見て
もらって判断を仰ぐ」と言っているところ。

さて、本題です。
※以下、グロ画像注意※

11月7日、本日はイスラム教の犠牲祭、Tabaskiです。
今日一日で、世界中で何頭の羊たちが天に召されたことか…。

「Tu viens à la maison à 10H(10時にうちにおいで)」と、
出動指示メールを携帯に送ってきた、Medina Sabakh
村内のAmat Seck宅に行ってきました。

屠殺は家の男たちでするのですが、このお宅では村のイマーム
(イスラム聖職者)に来てもらって、その役を果たしてもらいました。

「本当は自分たちでさっさとやってしまいたいんだけどさ、イスラムの
掟とかさ、ご近所、親戚づきあいとか、いろいろあるわけよ」と、
Amat氏はやや面倒くさそうに話していましたが。

じゃーん。

イマームがアッラー・アクバル(アッラーは偉大なり)を唱えた後、屠殺。
この写真を撮った時点では、まだ息がありました。
首の下に掘った血受けの穴に血が、ぴゅーぴゅー入っていきます。
とりあえず、屠殺の瞬間は撮影を自粛してみました。


後ろ足に傷を入れ、そこに息を吹き込みます。
こうやって、皮と肉の間に空気の層を作って、
皮をきれいに、早く剥げるようにします。
羊がどんどん、風船のように膨らんでいきます。
ちなみに、2つついている袋はきんたまです。


手際よく、どんどん、皮を剥いでいきます。
手前の黒シャツの兄ちゃんに、「どうして、屠殺や解体は
男しかしないの?」と聞いてみたら、「だって、女の子がこんな
ことやったら、すぐ泣いちゃうだろ(笑)」と、超てきとーな返事。

内臓どろーん。

相変わらず、手際がいい。

Amat氏、「オペ中です(笑)」


さばかれた部位から、早速、調理が始まります。


できあがり。
真ん中は、たまねぎソース。
周りを主役である骨付き肉が固め、
上からおしゃれにポテトフライを散らします。

このあとさらに、茹で肉を食べ、近所の育苗親父、
Mamour Toure氏の家でも食べ、大家さん宅でも食べ、さらに
お持ち帰りもいただき、今年も楽しくTabaskiできましたとさ。

10月が終わります。

なんと、10月が終わります!

前回のブログ更新が9月末、健康診断の前だった
ので、それから1ヶ月が経ってしまったわけです。
村人の間では、「Pierre(俺のセネガル名)はDakar(首都)で
新しい仕事をしているのか」という疑いすら出ているようです。
それもそのはず、この1ヶ月間はほとんど
任地メディナサバにはおりませんでした。


健康診断で上京すると、なんとその日から、
うだがDakarで入院することに!
虫さされを掻いたところからばい菌が
入って、感染、悪化したようです。
日本ではなんともないことが、セネガルなんかだと、
みるみるうちに悪化して、大事になったりするのです。
うだは点滴したり、処置を受けたりして、2泊で退院しました。


健康診断で上京、ホテル住まいをしていると、自宅にはないテレビが
ありまして、テレビを見るというのがけっこう面白かったりします。
フランスの国際放送よりも、セネガルの
放送の方が、今となっては興味深いです。
この写真は、セネガルの天気予報です。


健康診断を終えてメディナサバに戻った翌日、同任地の隊員と
一緒に稲刈り、脱穀の様子を見に、稲作農家を訪ねました。
この田んぼは収穫がありますが、今年の雨季は
雨が少なく、農家によっては田んぼがほぼ全滅、
つまり、収穫がゼロというところもあるようです。
厳しいです。

その数日後、再び、上京することになりました。


退院後に健康診断を受けたうだですが、その検査の中でひとつ、
ひっかかったので一時、療養帰国することになりまして。
うだの任地に行って、一緒に荷物整理、あいさつ回りなどを
して、日本へ帰るうだをDakarの空港で見送りました。


そしてその数日後、帰国したうだに会いに、うだの
友達が日本からセネガルにやってきました!
うだの代わりに、俺が代打アテンドです。


うだの任地での母にしっかり、髪を編んでもらい、セネ食もがっつり食べ、
海辺の隊員の任地ではマングローブ林での釣りにも挑戦しました。
Fimelaのばり、堤くん、青ちゃん、
Joalの真生ちゃん、お世話になりました。


日本からお客さんが来ると、普段、隊員たちに
とってはなんでもない様子にカメラを向けたり
するのを見て、俺も普通の写真を撮ってみました。
これは移動中の乗り合いバス車内。

うだの友達も日本に帰り、再び、任地へ。


その日に、新隊員2人がNioro県森林局に配属しました。
ようこそ、Nioroへ!
このいかついおやじたちが、森林局の職員です。
俺の右、局長はまだ、サッカーで負傷した足を引きずっています。
大丈夫か?


新隊員の歓迎会ということで、Nioro市で豚をつぶしました。
新隊員とは言え、さすがは青年海外協力隊!
まったく物怖じすることなく、豚さんをさばいていきました。
これは、屠殺して頭を落とし、火で毛を焼いた後の様子。

昨日は州都Kaolack市で、JICAの新しいプロジェクト、
CODEVALの専門家さんたちと、プロジェクトの対象
地域内で活動する隊員とでのお食事会に行ってきました。
このプロジェクトは土壌保全に関するもので、先月、撮影の
ために参加した枠堰建設も、このプロジェクトとは別物では
あるものの、同じく、土壌保全を目的としたものです。
ずいぶん久しぶりに、「開発」に関する話を聞いた気がします。
ビールを飲みながらだった、ということを抜きにしても、心が躍りました。
自分の進路を開発業界に取ることはやめましたが、
やはりこの分野への興味関心はあるものです。
私たちの配属先であるNioro県森林局もこのプロジェクトの
カウンターパートとなっていて、局長もやる気満々のよう
なので、残り任期5ヶ月、何か、関われたらな、と思いました。

明日は、うだのおうちの電気代と警備員代を
払いに、日帰りでThiadiayeへ行ってきます。
帰ってきたら、がっつり村を回って、タバスキ
(イスラム教の犠牲祭)を迎えます。

一日中、動画編集


さて、前回の日記の翌日、日曜日には無事、4つの堰が完成しました。
土曜日の作業はひたすら、掘る作業に尽きたのですが、日曜日の
作業は木を組んで、針金で固定して、石を投げ込んで、と工程が
どんどん進んでいくわ、土曜に引き続き、知事たちの視察はあるわ、
森林局の技官がレポーターになって、各現場監督にインタビューを
するわと、撮らねばならぬ場面がけっこうたくさんあり、バタバタしました。


また、日曜日の作業には、Nioro市の新隊員、
杉江君(野菜栽培)にも声をかけて、一緒に行ってました。
俺はずっとカメラを持って、汚れる仕事はしてませんでしたが、
彼はおっさんたちに混じって、服を汚しながらの労働です。
お疲れさまでした。
今回の枠堰建設には、このエリアでの地域開発に関わるキー
パーソンが一堂に会していたので、彼らを杉江君にも紹介。
セネガルに来て間もない頃はセネガル人の
顔や名前の区別がつかず、今回会った
セネガル人に次会っても、忘れていたりします。
でも、セネガル人は案外、こっちのことを覚えているものです。
「お前はNioroでの枠堰建設に来ていた日本人だな」って。
今回の出会いが、彼の活動のきっかけにでもなれば、と願います。


さて、月曜日は家で家事をしてお休み。
ある隊員の家で見かけて、それをまねて、こういうのを作りました。
地味ですが、洗面台がすっきりして、自己満足度はかなり高いです。


火曜日。
今回の枠堰を撮影する話を持ってきてくれた山田隊員
(村落開発普及員)と一緒に、森林局で動画編集作業です。
発展途上国の農村では、地面の砂、石ころ、木の枝など、そこに
あるものを使って研修や情報交換を行う開発手法があります。
が、その一方、パソコン、特に、動画を用いた
広報、啓発の手法も最近、増えてきています。
たとえば、人口3,500人のここMedina Sabakh村にも
電気やテレビがあるように、パソコンで動画を作って、それを
テレビで放映する、ということも不可能ではないわけです。

少し話はそれますが、たとえば、「今のセネガルは、
30年前の日本みたいなものだ」といったことを
言う人がいるとすれば、それは間違いです。
「遅れている」という言い方も間違いです。
途上国は別に、先進国の過去を
後追いしてきているわけではありません。
そんな話を、協力隊の研修中に聞いたことがあって、
そのときは「ふーん」ぐらいにしか思っていません
でしたが、ここで1年半暮らしてくると分かります。
日干し煉瓦&藁葺きの家に住み、村に電気はなく、
全部手作業で農業をやっている村人を見ても、
「30年前の日本だな」なんては一切、思いません。
彼らは、2011年の、この今現在を生きています、間違いなく。
そういったことが、頭だけでなく、感覚として分かってきます。
なんか、うまく文章では表せませんが…。

だらだらとした日記になってしまったので、この辺で締めます。
明日から健康診断で上京します。
では、また。


我が家のうさ次郎の子ども、うさ太郎を肩に乗せてみました。

枠堰撮影班

今日は枠堰建設現場へ撮影に行ってきました。
※枠堰(わくぜき)の解説はこちら

ここ、Medina Sabakh村で自由奔放に養蜂をやっている私
ですが、実はきちんとした配属先がありまして、Nioro県森林局
というところに配属していることになっています。
毎月、ここの局長に活動報告書も提出しています。

で、今回、この森林局も絡む枠堰建設のプロジェクトがあって、その
現場の様子を撮影して欲しい、という依頼があり、向かったわけです。
「森林局は、地域の皆さんとの協力の
 もと、地域のためにがんばってます」

的な広報PRをしたいようで、うまくいけば、TV放送したいとのこと。

デジカメを持っていて、且つ、上手に撮れるのは日本人。
ということで、青年海外協力隊の出番です。

先週末行われた下準備の作業は同じく、
森林局配属の同期隊員が撮影済み。
今日と明日は俺が撮影です。


朝、森林局の敷地で準備作業中。
このユーカリの丸太を使います。


Nioro市内の土壌浸食エリアに到着。
雨季の水流によって、村へ通じる道が削られていっています。
まずは、寸法を取ってロープを張り、
建設予定地の草刈から始まります。


今回は同時に4箇所で堰を建設します。
こちらのチームの現場監督のおっさん。
図面を見ながら、説明しているところ。
このチームは、既に終了済みのJICAのプロジェクトで働いていた
元普及員たちが立ち上げた組織が中心となっています。


こちらのチームは地元NGO、Symbioseが中心となっています。
枠堰は丸太で枠を作って、その中に岩を入れるタイプと、このように
針金をネット状に編んで、その中に岩を入れるタイプがあります。


この建設には総勢100人以上来ていたでしょうか。
Nioro県知事(右端)も現場視察。
森林局局長(右から2人目)が説明をしています。
軍服を着た強面の局長ですが、彼は先日のサッカー
張り切りすぎたのか、足首をひねって負傷しています。


今日の作業のメインは、掘ること。ひたすら、掘ります。
そして、現場監督たちは寸法にシビアなので、
彼らの指示を受けてみんなきれいに掘ります。


「掘ってたらなんか出てきたから撮って!」と技官(右)。
何かの根っこ? 芋?


途中、土砂降りの雨になりましたが、作業続行!
なんか、みんなかっこよく見えます。
この堰は4つあるうちの最大のもので幅16mあります。
中央のジーパンがここの現場監督、Amat Seck氏。
左の軍服はさっきはしゃいでいた技官。


枠堰にするほどではない溝には石を投入します。まだ土砂降り。


雨も上がりました。今日はここまで。
4つの堰のうち、このチームが一番進んでます。


仕事を終えた男たち。
この中の5人が、先述のJICAのプロジェクトで働いていました。

明日もがんばりましょう。

サッカー・養蜂研修・日本祭

さてさて、スペインバカンスからセネガルに
戻ってきて、半月ぐらいが経ちました。
何をしているかと言いますと…

Nioro市在住の隊員がサッカー大会を開く
というので、それのお手伝い&参戦してきました。
絶望的球技センスの私ですが、意外と、
サッカーは小さい頃によくしていて、割と好きなのです。


ラインを引く隊員たち。
Nioro県内の7人の隊員が集まりました。


トーナメント表。
この中で優勝に輝いたのはsucar si。
意味はウォロフ語で「砂糖」ww
セネガル人のネーミングセンス、なかなか、良いです。
ちなみに、日本人チームはdegguma dara。
意味はウォロフ語で「さっぱり分かりません」ww
1-2で初戦敗退しました。
しかし、ずいぶん久しぶりのサッカー、楽しかったです。
セネガル人の体力には全然、及びませんが。。。

プレー中の写真、撮り損ねたー!


2日間に渡る熱戦を終え、挨拶中。
左端、主催の原隊員(野菜栽培)。
その右、ニオロ県教育委員会の偉い人。
その右、ニオロ県森林局の偉い人。


上位チームには景品としてジュースが配られました。
で、そのジュースを、獲得したチーム
メンバーだけでなく、みんなで分け分けします。
禁酒のイスラム教なのでビールかけ
とかはなしないあたりが、平和でいいです。
手前の渋い表情は、あと数日で帰国の浅井隊員(植林)。


そのサッカー大会の翌日からの3日間、Nioro市から10km
ぐらい離れたProkhane村で養蜂研修が開かれました。
住民組織PENC Prokhaneの主催で、講師は、俺が開いた
研修でも講師を務めた、ベテラン養蜂家のBabacar Diop氏。
俺は今回、この研修を補佐してきました。
なんやかんやで、養蜂箱も5つ作ってきたので、
いろいろと勝手が分かるようになりました。


出来上がった養蜂箱。

しかし、この養蜂箱をどこに設置し、誰が管理
するのかということがまったく、計画されていない!
PENCの主催でありながら、そのリーダーは時折、研修
会場に様子を見る程度で、実質、講師たちに丸投げ状態。
設置場所についてのもめごとやら、その無計画さについて
地元の行政官からの叱責やら、全部、講師が受ける羽目に。。。
1日目は何かの手違いか、昼飯すら出なかった。

6月に俺が養蜂研修をPENC Medina Sabakhと共催したときも、
PENC側の無計画さに振り回されて頭にきたものですが、
今回、少し距離を置いた立場から見ていると、
「まぁ、よくあることですね」というふうに見えました。
もちろん、これは良くないことですが。

PENCはNGOの支援を受けて数々の研修を開いては
いるものの、はっきり言って、効果がないものが多いです。
研修をすることに意義があると思っているのか、研修で学んだ
ことを住民が実践したのか、研修によって住民の暮らしが
良くなったのか、そこについての関心があるのやら、ないのやら。
資金の出所はオーストリアのNGOではあるものの、活動の
計画から実施まで、すべてセネガル人の手で行い、その活動も
現場である村でなされていることは意義があると思うのですが。
あともう一息、かな。


最後に、17日(土)は州都Kaolack市在住の隊員
主催の日本祭のお手伝いに行ってきました。

写真:浴衣と手ぬぐいを身にまとい、踊るうだ

俺は「お箸で落花生つかみ」という
割と地味なブースを担当しました。
すぐにマスターして、落花生つかみにはまってしまう子どもも
いれば、お箸を持つことすら間々ならない大人もいたり。
手で食事をする文化の人からすれば「なんで、
こんな不便な道具を使うのか」と思うでしょうな。

他にも、書道で自分の名前を書くブース、けんだまブース、
写真やパンフレットやビデオで日本を紹介する展示ブース、
着付けブース、水ヨーヨーブースなど。
けんだまも、完全にマスターしたセネガル人がいましたね。

さて、Medina Sabakhに戻ってきて、昨日からは活動4号
報告書の執筆と、草ぼうぼうの庭の草抜きに励んでおります。
それが済んだら、村を回ってこよう。

スペインバカンス Barcelona・Madrid編


夜行バスで13時間かけて、ようやく着ました、Barcelona!
まだ寝ぼけています。


Barcelonaは宿がどこも高い!
やっと見つけたこの落書きされ放題の宿で、30ユーロ。
その後、部屋換えして50ユーロ。
この宿もそうですが、この街の宿、商店は
インド人が経営しているのが多いようです。
ちなみに、この宿のインド人は日本語が堪能。
4年間、埼玉の所沢に住んでいたとか。


この宿のバルコニーから大通りがよく見えました。
この大道芸人は一晩でかなり稼いだもよう。
で、Barcelonaと言えば、


来ちゃいましたよ、サグラダ・ファミリア!
地下が博物館になっていて、そこでお勉強したところによると、
建築家、ガウディが「自然界」をこの大聖堂で表現する
ことにどれほど、こだわったのかが分かります。
博物館見る前は「なんだ、このふざけた建物は」
なんて言っていましたが、うだが。


そのガウディ作のグエル公園にも行ってきました。
昔、さくらももこのエッセイでここの写真を
見て、行ってみたいなと思っていたところです。
意外とこの公園は入場無料です。


美術にはめっぽう、興味のない俺が
珍しく好きな芸術家、Daliもスペイン人。
ぶっ飛んでるわー、このひげの人。


翌日は市場へも行ってみました。
市場は活気があっていいね。


Barcelonaには和食レストランが何軒かあります。
カツ丼!


寿司!


大航海時代を気づいたスペイン。
コロンブスの塔をバックに。


郊外へも足を伸ばしてみました。
私鉄、登山鉄道、ケーブルカーを乗り継いで、


こんな風景のところへやってきました。
昔の僧院があります。


さて、最初の目的地であり、最後の目的地でもある
Madridへは、Barcelona発の夜行列車で戻ってきました。


この立派な建物は単なる郵便局です。


Madridの通りは広いなー。大都会です。


Madridでも果物を食うぜー!


市場にあったヨーグルトアイス屋さんで買ってみた。
ヨーグルト大好き。

スペイン旅行最後の食事は、


和食!きんぴら、納豆、白米!
(他にも食べたよ。)
久しぶりにカルピスも飲みました。


幕の内弁当!

お昼ごはんを食べて、Madrid駅へ向かい、
そこから空港行きバスに乗って空港へ。


無情にはバカンスは終わり。
経由地、Casablancaの空港での待ち時間に撮った一枚。
後ろには、セネ服を着た人が見えます。
このあと、このセネガル人たちの搭乗が異様に時間がかかるのです。
いやー、思い出したくもない、ひどい搭乗でした。。。

おわり