火事

材料を自分たちで買い揃えてセメント製養蜂箱を作りたい、
と言っているYouna村のおっさんを訪ねました。
共同出資するはずだった別のおっさんが反対している、とか、蜂蜜
泥棒がいるから、とかいう理由で結局は、「作らない」という結論に。
なんじゃそりゃ、と思いつつも、こちらが強要するのもおかしな話なので、終了。

次、Keur Moda村のDjibril氏を、外出先の
Keur Samba Kouta村へ訪ねました。
蜂の働きを増進させる目的で、養蜂箱内に給餌することになっていて、
しかし、「俺は防護服がなくても大丈夫だ」と本人が言っていまして。
それで、近々採蜜をしたいという隣村へ防護服は持って行っていました。
今日のDjibril氏曰く、

「こないだ、養蜂箱の中に餌(蜂蜜)を
入れたんだけど、めっちゃ刺された!」

そりゃ、そうやわなー。やはり、防護服はあったほうがいいのです。

そんなのんきな会話をしていると、村の中で奇声が!
Djibril氏も「お、どうした、どうした」と、
野次馬的にそっちへ近づいていって、表情急変。

「火事だ!」

いつも笑顔の村の女性たちも超真剣、超高速で井戸の
水をくみ上げ、さっきまでへらへらしていたDjibril氏が
水の入ったたらいを頭に載せて、猛スピードで現場へ
急行、混乱した村でわけが分からず泣き叫ぶ子どもたち。
俺も現場へ行くと、炎が上がっていて、
でも、俺なんかが下手に手出しできない状況。
写真を撮るのも不謹慎なので、ただ、その様子を見ていました。
火災現場は村のパン焼き釜の小屋。
おっさん、おばさんの迅速な消火活動によって、すぐに鎮火したと
思ったら、「火事は怖えーなー」とか言いながら、ひと仕事
終えたぜといった笑顔で現場を去るみなさん。

かっこいいな。
日本の地域コミュニティーが失いかけて
いるパワーを目にした気がしました。

さて次、Ndiagnene村へ。
ここには去年1月に養蜂研修で製作して設置した
養蜂箱があるのですが、なんと養蜂箱が増えていました。


養蜂研修に参加したわけでもなく、ただ普段、俺と世間話を
するぐらいの仲だったOusmane Diallo氏が、ご覧のとおりの
木製のちゃんとした養蜂箱を作り上げていたのです。
おそらく、板材もトタンも廃材から調達したようですが、説明を聞くと、
養蜂箱の中には棒を何本も並べた、いわゆる近代的な作りで、
俺が研修で伝え、村人にお勧めしている仕組みを取り入れています。
設置は1ヶ月前で、既に蜂も住み着いていました。
こうやって俺の知らない間に村人が養蜂を
始めてくれるというのは、本当に嬉しいことです。

さて一方、大統領選挙に関連して都市部は荒れているようです。
今日、会話をしたある村人はこう言っていました。

「政治にものを言いたいときは、タイヤを燃やしたり、商店を
破壊したりするのではなくて、選挙に行って『この人だ』と
思う政治家に投票をするべきなんだ」、と。

最後におまけ写真。


先日、我が家でさそりが出ました。
小さいですが強暴です。


我が家の庭に咲くパッションフルーツの花、とその奥にうさ次郎。

23-4次隊でメディナサバ村へ赴任予定の方へ

 23-4次隊でメディナサバ村へ赴任予定の方へ

≪インターネット契約の引継ぎについて≫
こちらからのコンタクトの取りようがないので、ブログにてご連絡します。
私は21-4次隊でメディナサバ村に派遣されております、
若宮武(職種:村落開発普及員)と申します。
現在、我が家では21-3次隊の同居隊員(3月8日帰国予定)とで
1台のインターネットモデムを共有しています。
私が3月13日頃にこの家を出て20日に帰国し、おそらく、4月末から
あなたがこの家で暮らすことになると思うのですが、インターネットの
契約を継続するか、解約するかを考えているところです。
以下の条件を見て、継続か解約か、2月29日までにご連絡ください。
2月29日までにご連絡がない場合は解約します。

≪継続手続き≫
もし、あなたが引き続きインターネットを使いたい場合は、私が
自分のパスポートコピーに、私の名義からあなたの名義に
引き継ぐ旨を自筆、署名してあなたに渡しておけば、OKです。
4月分までは使用料を私が大家さんに預けて、代わりに支払いを
してもらいますので、あなたは5月分からの支払いとなります。

≪接続システム≫
Sonatel社の固定電話機型無線インターネット。
アンテナのついた固定電話機とPCとをUSBケーブルにて接続し、
PCに専用の接続ソフトを付属のCD-ROMからインストールします。
インターネット通信は、この電話の
アンテナを通した無線にて行われます。
接続の際に必要なIDやパスワードはお教えします。
Macでの接続を試みましたが、無理、Windowsのみ対応。

≪月額使用料≫
使用無制限でおよそ定額18,900FCFA
(月によって数100FCFAの謎の誤差が出ます)
これはもともと、20-1次隊の隊員が契約して使い始めた
もので、この無制限定額制の料金プランは契約当時は
あったものの、その後、なくなったようです。
そのため、このプランでの新規契約は現在では存在せず、
当時契約したユーザーのみがこのプランを継続できています。
Sonatel社員すらも知らない、隠れプランです。

≪支払方法1≫
州都Kaolack市にあるSonatelの支払い窓口にて可能。
電話番号を言えば、請求金額を教えて
くれるので、それを現金で支払います。
銀行の小切手に金額と、受取人欄にSonatel
と書けば、小切手払いすることも可能。
支払期限は翌月27日ぐらいで、延滞すると接続を切られる上に、
復旧させる際はペナルティーを取られるので要注意。

≪支払方法2≫
隣のKeur Ayip村にあるBoutique Orange
(携帯電話屋さん)にて支払いが可能。
店主のBabacarに電話番号を言えば、請求金額を
教えてくれるので、それを現金で支払います。
ただし、Sonatelの窓口と違って、払っても領収書が出ないので
トラブルが起こる可能性も無きにしも非ず(起こったことないけど)。
まれに後日、領収書をくれることもあります。
支払期限については同上。

≪回線速度≫
ダイヤルアップ接続のためさほど速くはありません。
メールの送受信や通常のホームページ閲覧、音声のみの
インターネットラジオを聴くことは可能。
Skypeの音声のみの通話もおおむね、可能。

≪安定性≫
モデムとなる固定電話機がコンセントから
給電しているので、停電すると使えません。
新品当時はバッテリーが稼動しており、停電しても
しばらくは使えていたそうですが、私が使い始めた
時点で既に、バッテリーは死んでいました。
停電していなければ、おおむね、接続は安定しています。
データ通信がしばらくないと、自動的に切断されることがあります。
電気があって、支払い遅延もないのに、
なぜか接続できないということもたまにあります。
数時間から数日で復旧します。

≪代替案1:ADSL≫
ADSLを使っている隊員も多いですが、残念ながら
メディナサバ村はエリア対象外です。
ちなみに、県都Nioro市はADSLがあります。

≪代替案2:同システムの従量制≫
今、私たちが使っている定額制は解約して、同じ接続
システムの従量制を新規契約する方法があります。
モデムとなる電話機も別のものになり、新規契約に
伴う料金も20,000FCFAぐらいかかってきます。
電話機が変われば、バッテリーも新しいものに
なるため、停電してもしばらくは通信が可能です。
基本料金なし、1時間300FCFAの従量制で、
プリペイドカードを買ってチャージします。
メディナサバ村での速度、安定性は不明。

≪代替案3:Interne Everywhere≫
基本料金なし、1時間500FCFAの従量制で、
プリペイドカードを買ってチャージします。
USB接続の無線モデムをPCに差し込んで使います。
このモデムはUSBメモリのような形、
大きさで、電源不要、持ち運び容易です。
メディナサバ村で使っている人が
いますが、速度は非常に遅く、不安定。

≪代替案4:Expresso≫
Sonatelとは別の電話会社が
提供する、無線インターネットサービス。
不安定で遅い、といううわさを聞く。

≪代替案5:インターネットを使わない暮らし≫
略。

≪私への連絡方法≫
私に直接メールを2/29までに送ってください。

政治の季節

お尻の感染性湿疹にはじまり、いつの間にかできる足の
傷と長引く化膿、のどの痛み、鼻水、発熱を伴う風邪、
なぞのめまいと吐き気など、体調不良がしばらく続いていました。
それがここ数日で、ようやく治ってきまして、また、
村へふらふらと出かけるようになってきました。

そんな村でもここ最近は、選挙色を帯びてきたような気がします。

ついこないだの日曜日の夜、ある大統領選立候補者が車列を
組んで、ここ、メディナサバ村と、さらに奥の村へとやってきました。
大して興味もなく、面倒くさいのでわざわざ見に出かけません
でしたが、サイレンを鳴らした車が何台か通っていく音が
聞こえたので、多分あれだったんだろうなと思います。
その翌日に行った村では、その政治家を見に行っていたという人もいて、
早速、その政治家の顔写真がプリントされたTシャツを着ていました。

我が家のお向かいに大家さんが住んでいるのですが、
先日訪ねると、何かリストを作っていました。
それは何かと聞くと、これもまた別の
立候補者の支持者リストとのこと。
大家さんはある野党の、メディナサバ村における
取りまとめ役をしているようで、見ると確かに、
家の壁には政党ポスターが貼られていました。

昨日行った村でも、話題は自然と選挙の話に。
同じ村の中でも、一人一人、投票するつもりの
候補者は既に決めているようで、日本人が
見習うべき、選挙への関心の高さです。
それぞれ、お気に入りの政治家はいるようですが、みんな一致
しているのは、「ユッスー・ンドゥールは、ありえない」ということ。
彼はセネガルが誇る世界的に有名な歌手で、セネガルでも人気は
あるようですが、政治家にとなるとまた別の話のようで、そのへん、
セネガルの有権者たちも冷静な判断をしているようです。
日本みたいに、政治素人の有名人が当選することはなさそうです。

村での他愛もない会話↓

村のおっさん
 「Pierre Meissaは誰に投票するんだ(笑」


 「俺はセネガルの住民カードも
  持ってないし、投票できんよ(笑」

村のおっさん
 「じゃぁ、投票日だけ俺の住民カードを貸してやろう(笑」


 「おい、おっさん(笑」

年が明けました

日本各地、世界各地の皆さん、あけましておめでとうございます。


こちら、メディナサバ村では隊員たち、近所の子ども
たちと一緒に羊まつりをして2011年を締めくくりました。
写真左手前の黄色いAmadouはうちの大家さんの孫。
普段は両親と一緒にDakarに住んで
いますが、年末年始はメディナサバに里帰り。
前回の里帰りは去年のタバスキ(11月)だったかな。
そのときはまだしゃべれてなかった
と思うけど、よくしゃべるようになりました。
ほかの子どもたちも、俺らが赴任したときと比べれば「ずいぶん、
大きくなったのー」と、近所のおじさんのように感じるわけです。
そうやって月日が過ぎていきます。

さて、昨年末のブログを読み返してみました。
あれから1年が経ったわけですね。
ちょっと遅れましたが、2011年を振り返ってみます。

活動としては1月と6月に開催した養蜂研修が山場。
養蜂研修を開くには養蜂箱を作るための材料調達、昼食手配、
講師や参加者との日程調整に加え、必要経費をJICA
事務所に支援してもらうための見積書集め、書類作成
などなど、事前準備に結構なパワーと時間がかかりました。
養蜂研修が終わって数日以内に、講師抜きの受講者たちに
よる養蜂箱作りもしたり、6月は養蜂研修に付随する形で、
型枠や防護服などの発注もやっていました。

また、前任者が養蜂を始めたのは任期の終盤で、その彼が設置
した養蜂箱の初採蜜の支援は、後任者である俺がやっています。
そのうちの2村では採蜜の副産物である蜜蝋精製にも挑戦しました。

養蜂以外には年末ぐらいから高松~メディナサバ間の小学生
文通を始めるようになったり、配属先であるニオロ県森林局の
一大事業、枠堰建設の撮影・動画編集をしたりも。

2011年の12ヶ月間のうちの1ヶ月間強は任国外旅行で、
うだと一緒に未知の島国カーボベルデと、情熱の国スペインへ。
それまで、旅先としての先進国にはまったく興味がなかったのですが、
カーボベルデとスペインの旅があんなにも楽しいものだったとは!

大学生のころから開発ワーカーになることを目指して、
セネガルにまでやってきましたが、その志が大きく
転換したのが、あのカーボベルデ旅行のころでした。

うだというパートナーと出会い、家庭を持ちたいと思うようになりました。

日本とはあまりにも違うセネガルでの暮らしに触れて、
どんな暮らしが自分たちにとって幸せだろうかと考えました。

セネガル国内/国外、政府系/非政府系によるさまざまな開発の
現場を見て、開発や発展とは何なのか考えさせられました。

震災復興に向けて奮闘する日本や、観光・ブランド
アピール、中央商店街の再興に励む香川や高松の姿を
遠くから見ていると、自分がエネルギーをそそぐことの
できる土地はやはり、自分の故郷だなと感じました。

そんな感じで、あと3ヶ月もすればその故郷に戻ります。

高校生活の終わりのほうでは、大学生になるのが楽しみでしたし、
大学生活の終わりのほうでは、社会人になるのが楽しみでしたし、
会社を辞めるころは協力隊でセネガルに行くのが楽しみでした。
今は、日本、高松に帰ってから
どんな暮らしになるのかな、と楽しみです。

あと3ヶ月、限られたセネガルライフを満喫します。


うさ太郎もすくすく成長中!
そういや、去年がうさぎ年か。

帰国後の予定など
おそらく…
3/22
 06:55 羽田空港着
3/27
 帰国オリエンテーション(東京)終了
4/12~15
 宮城・福島
4/15~5/19
 東欧旅行
5/21
 金環日食(徳島)

会議、研修、調査

昨日は一日中、県都Nioro市に上がっていました。

まずは配属先である森林局へ11月度の活動報告書を提出しに。
いろいろと、局長と話したいこともあったので、お話。

それから、地元NGO、Symbioseの会議へ。
この会議には、Symbioseの支援を受ける12の住民組織、
PENC(ペンチ)の代表者たちが集まり、その中のPENC
Diama Gadioの代表、Backa Cisse氏に会うのが最大の目的。
彼は近々、養蜂研修を開くつもりで、俺に協力を
求めてきているので、その打ち合わせがしたくて。
1/4に研修をやるっぽいですが、全然準備ができて
なさそうなので、また、延期になるような気もします。

そんな彼にももちろん会えましたが、この会議に
来ると、見知った面々が一堂に会していて、楽しいです。
Symbioseの代表、職員、各PENCの代表たち、養蜂箱を設置
している村のおっさんたち、熟練養蜂家Babacar氏などなど。
この集まり、ここでの人脈が隊員活動のきっかけにもなったり
するので、新隊員にもこの会議のことを知らせておきました。
休憩時間になると、俺もいろんな人と挨拶したり、会話したりで、
新隊員を出席者たちに紹介する暇もなく、でも、ふと見ると、
新隊員たちは果敢に、おっさん、おばさんたちと会話していました。
俺も初めてこの会議に来たころは、「すげー!すげー!」って思って
いましたが、それからどんどん自分が村に入り込んで行くにつれて、
いくら、セネガル人による「地元」NGOとは言え、必ずしも、
彼らの活動が村人から評価されているわけではなく、
少なからぬ批判も耳にするようになってきました。
それに加え、6月にMedina SabakhでSymbiose、PENCと
養蜂研修を共催したときに、半ば、喧嘩をしたので、それから少し
疎遠になっていたいましたが、今回の会議出席で再接近です。

その会議中に、Medina Sabakh駐在の
森林技官、Amad Diouf氏から電話。
どうやら、明日、村で研修をするからそれに来て欲しい、とのこと。
しかし明日は、Amat Seckと一緒に国勢調査の続きに行く予定に
していたので、それで渋っていたら、その数分後、森林局から電話。
「頼むから、行ってやってくれ」という圧力。
これは相当だなと思い、Amat Seckに「ごめん、急遽、研修が
入って行けんわ」と言うと、「大丈夫、俺もそれに行くから」、と。
おい。


で、今日、その研修の様子。
主催はAfricareというNGOで、講師は森林技官Amad Diouf氏
(写真左)と、土壌保全専門家(?)のAmat Seck氏(同右)。
テーマは植林と、土壌浸食抑止です。
出席者は近隣の村人20人ぐらい。
俺は先日撮影した、Nioro市内で建設
された枠堰のビデオ、写真を上映する係。

この研修が昼食で以って終了して、午後は
Amat Seck氏と一緒に国勢調査の続きへ。


各村の村長(写真左)を訪ねて、Amat Seck氏(同中)が
去年までの各村の戸籍票を読み上げていきます。
この1年で亡くなった、生まれた、引っ越した、
嫁が来た、というのを書き込んでいきます。
で、これは何のためかというと、税金です。
セネガルでも住民税なるものがあって、老人、子どもなどは
除いて、年1,000F(約160円)を納めることになっています。
そのための調査で、そのお役目をどういうわけか、
Amat Seck氏が郡庁から請け負っているわけです。

この調査への同行は俺の活動には何の関係もないのですが、
この調査で回る村々が、過去あったJICAのプロジェクト、
PRODEFIの対象村であったところが多く、そのPRODEFIで
この地域を担当していたのがこの、Amat Seck氏。
彼と一緒にこの村々を回って、PRODEFIの
痕跡のようなものが見えるかな、と思って。

PRODEFI時代に植林された果樹やユーカリはすくすくと
育っていましたが、ある程度育苗、定植がうまくいって
いれば、あとは放置しておいていいものです。
それ以外に残っているのは、村人とAmat
Seck氏との仲の良さと、楽しい思い出、でした。

日本国民の税金で行われたプロジェクトなので、JICA的にも
納税者的にもそれではいかんはずなのですが、Amat Seck氏と
おばちゃんたちの楽しそうな思い出話を見聞きしていると、
なんか、それでも良いのかな、という気もしてしまいます。

鯖味噌

さらに続投。
書くネタはあったもののここ最近、結構忙しくて、
しかも疲れていて、書けていませんでした。
今夜もこれを書いたら寝よう。

月曜日に払い損ねたネット代ですが、
実は隣村でも払えるので、払ってきました。
そのついでに、普段あまり行かない、この村の市場でお買い物。


その魚売り場で買ったものはなんと、鯖(さば)!
この見事な鯖1尾がなんと、500F(約85円)です。
日本のスーパーでは大抵、切り身でしか見かけませんね。

早速、その日の昼にさばきました。
鮮度も良いもんです。
鯖と言えば、鯖味噌ということで、みりん、味噌、醤油、
砂糖を煮立てて、そこへ湯通しした鯖を投入。
大きな白子もあったので、投入。
出来上がった絶品のセネガル鯖味噌は、
写真に収めるまもなく、完食しました。
うまかった。

この日の午後は、Amat Seck氏と一緒に村へ出て、国勢調査。
国勢調査、といっても、ここ1年での人口の
増減を確認するぐらいなんですが。
また、次のブログにて、書きます。


調査の合間の一枚。サツマイモ畑のおっさん。

お金がなくて帰れない

立て続けに書きます。

月曜日はKaolackとThiadiayeへ行ってきました。
早朝、自宅から30分歩いて、隣村のガラージュ(車乗り場)へ。
セネガルとは言え、この時季の朝6時の散歩はかなり寒いです。

朝9時には州都Kaolackに到着。
Medina Sabakhの小学生たちの
写真など、55枚をプリントしてきました。
写真屋が本来、1枚200Fのところを250Fと言って
吹っかけてきたので、イラっとしながら交渉して、
200F(約15円)に。計11,000F。都会は嫌だな。
プリンターのカラーインクがそろそろ切れそう
なので、購入、11,000F(約1,800円)。

それから、また車に1時間半揺られて、うだの任地、Thiadiayeへ。
一時療養帰国中で、その間、家も警備員も電気水道もそのまま
残しているので、俺がたまにこうやって、支払いに来ています。
今回は電気代の支払い。
うだは今は住んでないし、電気代もやすいだろうと思ったら、
うだが住んでいた9月からの請求で、11,800F(約2,000円)。
案外、高い。


昼飯は、うだのThiadiayeでの家族のお宅にて。
写真の仔ヤギの名前は、うだのセネ名から、Sokhna Sow。

その昼食ができるまでの間に、高松第一小に
送る手紙と写真の整理、封入作業を完了。
昼食を終えてまもなく、バスに乗ってKaolackへ出戻り。
営業終了間際の郵便局に駆け込み、計量の
結果、なんと送料7,550F(約1,200円)。
信じられず、郵便局員のパソコンが目を覗き込んだけど、
「JAPON 7,550F」というのは確かに見えて、それ
以上に確認のしようもないので、渋々、お支払い。

こうして、俺の財布残金は500F
(100円)となり、帰りの運賃もありません。
ましてや、Sonatel(電話会社)で払う予定だった、
ネット代19,000F(約3,100円)も払えるはずもなく。。。
帰国まであと3ヶ月の俺は、セネガル赴任3ヶ月
足らずのKaolack在住新隊員を訪ね、
5,000Fを借金させていただきました。
かたじけない。

無事、帰宅。
長い一日でした。

K.Modo村で採蜜

珍しく、ここ数日、ちょっとバタついています。

前回の日記で書いた、小学校でのお手紙&写真撮影を
したその日の夕方、Keur Modo Diao村へ出勤。
お尻療養のために延期していた採蜜です。
人によって、本など資料によって言うことはまちまち
なのですが、採蜜は夜にすることにしています。


ピンボケしたけど。
後ろで赤いゴム手袋をして片腕を上げているのが、
養蜂箱を管理している、Djibril Diagne氏です。

彼は敬虔なイスラム教徒で、子どもたちに
コーランを教える先生もしています。
そんな彼を人々は訪ねてきては、お金や
人間関係などのもめごとを相談します。
ひととおり悩みを聞いた後に、「なるほど、そうですか。
コーランにはこんな一節があります。」と説いていくわけです。
俺が行った日も、悩み相談は絶えず、
それを数時間待っての、採蜜開始です。

彼の教え子であるタリベたち(日本の寺にたとえれば、
小坊主、かな)は面白がって、防護服を着て、ラジオから
流れる音楽にあわせて踊ったりと、お祭り騒ぎです。
とても楽しそうなんですが、俺はアナフィラキシー
ショックに罹ったことがあるので彼の家で待機です。
本当は、養蜂箱の様子、蜂の様子を自分の目で
見たいのですが、今度刺されると本当にやばいので。

1時間半後ぐらいでしょうか、帰ってきた
彼らの手にあるバケツは、空っぽ。
聞くと、養蜂箱のには確かに、蜂が多く居て、養蜂箱の半分
弱は巣板ができていたようなのですが、その中に蜂蜜はなく。
養蜂箱を設置して10ヶ月近く経って
蜂蜜がない、というのはおかしいです。
しかしこの状況は、8月に採蜜を試みたNdiagnene村と同じです。
熟練養蜂家のBabacar Diop氏に聞くと、「蜜集めをしない、
ニセマルハナバチが住み着いてしまっているからだ」と
言い、それを追っ払う方法として、養蜂箱内に蜂蜜の
入ったコップを入れる、ということを教わっています。

そういうわけで、今回の収穫はなし。
その翌日に、養蜂箱内に置くための蜂蜜を村へと持って行きました。

うまくいきませんなー。

セネガルからの手紙


先日のブログで、メディナサバ第二小学校と、高松
第一小学校との文通が始まる、というのを書き
ましたが、今日はそれの件で学校へ行ってきました。
行くとちょうど、教室で子どもたちが手紙を書いているところでした。


「そのまま少し待ってたら、みんな書き終わるから
待って」と文通担当の先生(左)に言われ、その間、
校長先生(中央)や教頭先生(右)と世間話など。


しばらく待つと、手紙完成。
9歳から12歳ぐらいの子供たち
40人がフランス語で手紙を書きました。
家族のこと、学校のこと、村のこと、ご飯のことなど。
高松の学校に手紙と一緒に同封するために、手紙を
書いた子供たちの写真を2人ずつ撮っていきました。

なんやかんやでお昼ぐらいになり、帰宅して
早速、手紙の和訳に取り掛かりました。
そうして気づいたことは、あまりにも
似通った文面が多いということ。
名前をまず書くのは当たり前として、あと、年齢、身長、
村内の区の数、郡長の名前、国旗の構成などを、ほぼ
同じ文面で書いている子供たちがすごく多かったです。

俺はこれまで、学校教育に関わったことがなかった
ものの、教育系隊員からよく聞く、セネガルの
教育方法が見えてきた気がしました。
セネガルでの教育は「模倣」が基本。
先生の言ったことを復唱し、先生が
黒板に書いたことをノートに書く。
正解がひとつあって、それと同じなら
褒められ、それと違うと叱られる。
まねをすることは得意でも、オリジナルな考えを
持つことは苦手、というのを聞いたことがあります。
冷蔵庫養蜂箱はかなりオリジナルでしたが)
席順で集めた手紙は、ある程度、席の近い子たちどうしで同じ
ような文面になっていたので、近くの席で誰かがお手本的な
存在になって、それを周りの子がまねたのかもしれません。

おかげで、和訳する俺としては楽なわけですが。
しかし、そんな中にも「僕はかっこいい男の子です」と、かなり大きく
出た少年がいたり、家族紹介で「お母さん『たち』」と書いて、
おそらく日本の小学5年生が初めて知るであろう一夫多妻に
ついて触れた児童もいたり、「私がこうやって、
日本に手紙を書けることはアッラーのおかげ」と、
日本人にはなじみのない宗教に触れた児童もいたり、
「夏休み中は畑作業をします」と書いている児童も。

逆に意外だったのは、まだ10枚しか訳してませんが、
今のところ、「○○を送って欲しい」と書いた子がいないこと。
セネガルでは「○○ちょうだい」を聞かない日はないぐらいなのに。
もはや、挨拶みたいなものです。
実際、セネガル人どうしでもあげたりもらったりは日常茶飯事で、
ましてや、日本人なんかは恰好のターゲットになるわけです。
俺が中学生のときにガーナ人と文通をしていたときも、よく、
「Nintendo Gameboy」を要求されていました。
お行儀の悪いことを書いたら、先生に叱られるのでしょうか?

うん、なかなか楽しいものです。
来週ぐらいに投函予定。
さて、高松の児童はどんな反応をするでしょうか。

安全対策協議会

12/13~12/16の間、またまた、ダカールに上京してました。
ここ数ヶ月、やたら、上京してる感じでちょっと嫌なんですが、
今回はセネガルの全隊員が集まるイベントがありまして。

安全対策協議会。
JICAセネガル事務所が7月と12月の、年2回開く、
安全とか健康に関する研修会みたいなものです。

数時間にわたる講義やワークショップの最後に、所長の講話が
あったのですが、これが一番、緊張感のあるものでした。
その内容はやはり、来年2月26日に予定
されている、セネガル大統領選に関して。

まず、セネガルの大統領選は、これまでの中東や他のアフリカ
アフリカの選挙後の暴動・政変とは様子が違いますよ、と。
他国の選挙後の暴動とかは、その開票結果に
不満を持った市民が暴動を起こしたものです。


一方、セネガルの場合は、憲法上、大統領の三選が認められて
いないにもかかわらず、現在二期目のワッド大統領(写真)が
再出馬しようとしていることに、既に、市民の不満があります。
さらに、現在85歳のワッドが今回、仮に再選した場合、
次期任期中に90歳を超え、あまりにも高齢である
ということにも、市民の不満があります。
(ちなみに、セネガルの平均余命は58.6歳)
つまり、選挙をやる前から、市民は不満を抱いていて、
暴動に発展する危険性がある、ということらしいのです。

1/25ぐらいに立候補者登録があって、その少し前に
ワッドが出馬表明するタイミングがまず、危険。
次に、それを司法(憲法評議会)が仮に、
ワッドの出馬を合憲と判断した場合に、危険。
今年の6/23に首都ほか、全国の各都市で
暴動が発生したことをきっかけに、毎月、23日は
暴動のリスクがあり、12/23、1/23が危険。
投票日の2/26と、その開票日の2/27はもちろん、危険。
単独で過半数を得票する候補者がいなければ、決選
投票があるので、それが予定されている3/18が危険。

危険とされる期間は結構長いです。

JICAセネガルも2/1~3/15の期間中、セネガル
入出国を制限し、国内移動の制限も検討中。
USAID(米国開発庁)はもっと早い、
1月から移動制限をかけるとか。

一方、村にいると、そんな危険な感じはしません。
「セネガルには祈りがあるから、大丈夫だ」とか、
「セネガルではマラブー(イスラム聖職者)の力によって、
暴動を防ぐことができるから、大丈夫だ」と聞きます。


しかしそうは言っても、6/23には死者こそは出なかった
ものの、首都では放火、破壊、投石を伴う暴動に発展しました。
聞けば、1989年にはセネガル・モーリタニア間で紛争が起こり、
セネガルではモーリタニア人狩りが行われたとも言い、
翌1990年にはセネガル奥地の村で反政府運動を
鎮圧した軍が虐殺行為を行った、とも。

また、国が混乱したときにこそ、良からぬ
イスラム武装勢力などが入り込みやすいとか。
実際、アル・カイーダメンバーがダカールに
3回入った、という情報もあるようです。
アル・カイーダというのはいつも、ニュースで見聞きする
もの、遠い存在でしたが、どうやらここ、セネガルは
彼らの勢力圏からはそう、遠くはないようです。

さて実際、村人が言うように、このまま平和にことが進んでいくのかも
しれませんし、暴動が発生してエジプトやチュニジアのように、国が
ひっくり返り、隊員もみんな、国外退避になるのかもしれません。

いつもはセネガルでの平和的な様子をつづるこのブログですが、
今日は、セネガルのまた別の一面について書いてみました。

さて、どうなるのか、インシュアラー(アッラーのみぞ知る)です。
もし、ワッドの再選を食い止めるとしても、どうぞアッラーよ、
普段は愉快なセネガル人たちが流血するような
事態にはならないように、お願いします。