養蜂研修失敗 設置、の巻

まぁ、こうして惨憺たる結果にて養蜂研修は終了しました。
研修に参加した村人、遠くから来てもらった
講師に申し訳なかったと思います。

講師たちは、「研修はうまくいかなかったけど、養蜂箱は
良いのができたじゃないか。また今度、一緒に頑張ろう」と
言って、自分たちの村へ帰って行きました。

さて、その養蜂箱ですが、研修終了後に、仲良しの
馬車主、Adeoma氏に連絡を取って、翌6月3日に
Mbap村へ運搬するということで手配を取りました。

約束の時間よりも早く、俺とAdeoma氏は養蜂箱の
保管場所に着き、馬車でMbap村へと進みます。
道中、彼が馬車主の仕事を求めて、去年移り住んできたこと、
そうしたら馬泥棒に遭ったこと、離婚したけど、また新しい彼女が
できたこと、馬の性格についてなど、四方山話をしていました。

Mbap村に着いたのは10時ごろ。
おとつい、ブチ切れしたMady Cisse氏は出かけていて、彼と同姓
同名のMady Cisse氏(自称 Mady Cisse numero2
(その2))が養蜂箱の設置場所へ案内してくれました。
このMady Cisseその2氏はとても穏やかな人です。
「ほら、俺の鶏、すごいだろ」と、軍鶏
でしょうか、いかつい鶏を見せてくれました。

そんなその2氏と一緒に向かった先は、カシューナッツ畑。

これはいかんです。

なぜなら、カシューの木は直射日光と強風を防ぎ、花蜜もあって
蜂にとってはすごくいいのですが、じゃぁ、そのカシューの実が
生ったとき、蜂だらけのその場から、どうやって実を収穫するの?
実際、カシュー畑に置いたがために、蜂に
刺されながら実を収穫した養蜂家もいます。
しかし、その2氏、「それでいいんだ。そうやって、子ども
たちが勝手に実を取るのを蜂で防ぐんだ」と言っています。
さらに、畑地も近いので、農作業中に農民が刺されるリスクも
ありますが、それも、「ほら、すぐそこのバオバブの木にも
蜂の巣はあるけど、大丈夫だぞ」と、その2氏。


(写真)外ぶたをはずした状態の養蜂箱。右がその2氏。

散々、説明はしたものの、「ここに設置してくれ」と
引き下がらないので、カシュー畑に設置しました。

そしてまた馬車でMedina Sabakh村へと帰りました。

あとは、まだ届かない型枠が来たら、それで養蜂箱を
Sangap村とPakala村に作り、一連の作業は終了です。

養蜂研修失敗 参加者逆ギレ、の巻

ここでまた、問題発生。
研修で作った養蜂箱をどこの村に設置するかです。
元は、養蜂研修を長く待ち望んできたMbap村に設置する予定でした。
設置に際しては、講師も現場に同行して、設置に
適する場所を実際に確認するという流れです。
しかし、Mbap村はMedina Sabakh村から遠く、馬車で
往復していては、講師が6月2日中に帰宅できなくなります。
そのため、Mbap村よりもMedina Sabakh村に
近い、Sangap村への設置を提案しました。
Sangap村からの参加者も、それを強く主張しました。
そしたら、穏やかと思っていたMbap村からの
参加者、Mady Cisse氏まさかのブチ切れですよ。


「俺はMbap村の村長だ!PENCの環境委員会の


委員長だ!PENCの計画会議では、養蜂箱は


Mbap村に設置と決めたじゃないか!」

おっと、地位、身分を振りかざしてきました。

「今回は、時間がないから、Sangap村に設置して、
製作中の型枠が届いたら、改めて、それを使って
養蜂箱をMbap村に作ろう」となだめると、今度は逆ギレ。


「よし、じゃぁ、Sangap村に設置すれば良い!


俺は帰るぞ!養蜂なんか、止めだ、止めだ!」

「おー、じゃぁ、帰りやがれ」と言ってしまうのは
簡単ですが、そうしたらおしまいです。
ここはなんとしてでも、彼を引き止めなければいけません。

Sangap村の参加者は相変わらず、「ほら、Pierre(俺)も
Sangap村のほうが良いって言っているじゃないか!」
と語気を荒げます。
まさか、近隣の村人同士でこんなにも激しく、面と
向かって対立が起こるとは思ってもいませんでした。
基本、セネガル人は対立を避ける傾向があると感じていたのに。

既に養蜂を一緒にやっている参加者、
Saco Tiam氏も仲裁に入り、助け舟を出します。
同じく、既に養蜂を一緒にやっている参加者、
El Hadji Dianne氏は、
「そんなごたごた言うんなら、よし、俺の村に持って
行ってしまえばいいんだ」と笑いながら冗談を抜かしています。

いよいよ収拾がつかなくなり、Ousman氏を呼び出しました。
まぁ、本来、彼がその場にいるべきなんですが…。
Ousman氏はMady氏がPENC内で要職に就いていること、
計画会議のとおりの遂行を尊重し、「養蜂箱はMbap村へ。
搬送はNGOの車を使える。」、と。

何とか事態は収まり、残りの作業を終えて1日目、終了。

気が重いまま、2日目、開始です。

前日の段取りの悪さ、作業の遅れ、ごたごたがあって、そもそもの
やる気がなくなったことに加え、5月31日、6月1日と2日連続で
夜に雨が降り、「やべー、雨季が来るー」と、慌てて農作業を始めた
参加者もいて、2日目の参加者はなんと、4人。
ちなみに、予定では11人です。

人が、来ない。
失敗もいいところです。

しかし敢えて、小さな成功をあげるならば、人数が少なくなった
ことで、参加者たちが個別に講師たちに質問をし、講師の細かい
アドバイスを受けることができたことでしょうか。
既に養蜂をしているEl Hadji氏は事前に、質問項目を考えて
きていて、すごく熱心に質問をしていましたし、これから養蜂を
始めるMamath氏はノートびっしりにメモを取っていました。
El Hadji氏の養蜂箱は今後、改造を加えることにもなりました。

さて、昨日のごたごたを解決するアイテム、NGOの車ですが、来ない…。
この日も研修会場には現れないOusman氏に
電話しても、「もう、来るから」の一点張り。
このままでは、講師が自分たちの村に帰る時間になってしまいます。
講師と一緒にOusman氏宅へ行くと、
なんとそこには俺らが待っていたはずの車が!
「いや、この車は別の用事で必要で(汗」
苦し紛れもいいところ。
「じゃぁ、養蜂箱を運ぶ車はどこに
あるのか?」と問うと、言葉を濁す。
怒りを通り越し、あきれてきました。

「やることがいっぱいあって、手が回らない」と言い訳するので、
「手が回らなくなるような予定を立てるからだ!できないなら、
できないと言うべきだ!」と思わず、言い返しました。
本当は、もっと、言ってやりたいことがありましたが、そう
することが何のためにもならないことは分かっていました。

結局、講師はどうしても6月2日中に
帰宅しないといけないので、帰宅。
その後も車は来ず、研修は解散しました。

養蜂研修失敗 型枠来ず、の巻

6月1日、2日で養蜂研修をMedina Sabakh村内で開催しました。
以前、日記でも書いたとおり、今回は住民組織PENCから
依頼を受けての研修開催であり、彼らにも協力を求めました。
研修参加者に支払われる交通費と昼食、研修会場の提供と、
セメント製養蜂箱を成型するのに必要な型枠をPENCが、
その他の資機材、参加者や講師との日程調整と連絡、講師への
謝礼を俺がそれぞれ、分担するということになりました。

そしてこの研修は、見事、失敗しました。

失敗の最大の原因であり、失敗のすべてのおおもとは、PENCが
製作手配していた型枠が間に合わなかったことです。
PENCの代表、Ousman氏が、型枠等の出資元である
NGO、Symbioseのスタッフに型枠の製作を依頼。
まずはこのスタッフが金属加工屋への発注も、NGOの代表、
Malick氏へのお伺いも立てないまま、ずっと放置プレー。
その状況に俺とOusman氏が気づいたのが5月23日。
その日のうちに、Ousman氏がMalick氏に
事情を一から説明し、出資を求めて直談判。
Malick氏、しぶしぶ、了承。
金属加工屋にも同日、発注。
金属加工屋は「3日でできる」と。

Ousman氏、「じゃぁ、26日には型枠が
できるから、27日から研修ができるね。」

そんなもん、無理に決まっています。


参加予定の村人たちと、講師たちと相談を
重ね、日程は6月1日と2日にしました。
型枠発注から8日後です。

毎日、Ousman氏に「本当に型枠は間に合うの?」と
電話で尋ね、毎日、「大丈夫、進んでいる」との返事。
5月26日、直接、金属加工屋に足を運んでみると、まだ一切、
作業は進んでおらず、「今日、材料が届くから」とのこと。

俺の方は、急ごしらえの現地業務費申請が無事、JICA
事務所で承認を受け、資機材の発注、搬送もすべて完了。

5月31日、一日に何回も金属加工屋に電話で
作業の確認をし、「大丈夫、今日の午後にできる」と。
その返事が、「無理だ、やっぱり明日!」に変わった
ときには既に、講師たちは研修会場であるMedina
Sabakh村に向けて移動を始めていました。

その夜、到着した講師たちとOusman氏とで相談し、翌朝、
講師が自分の村に戻って、講師所有の型枠を持って、Medina
Sabakh村に来て、研修を開催するという話になりました。
こんなことなら、はじめから講師の型枠を借りればよかったのです。
講師も、車で片道1時間のでこぼこ道を往復しなければいけません。

実は、この型枠の進捗状況と、農民たちが忙しくなる
雨季の到来もあって、俺はOusman氏に
研修を雨季後に延期することを勧めていました。
しかし彼は、「型枠は間に合う。村人たちも、こっちから
呼べば、どうせみんな、来る」と言い張ります。
その裏に見えてくるのは、PENCの計画会議。
PENCは3ヶ月に1度、過去3ヶ月の活動の実施
結果についてと、今後3ヶ月の活動予定について
発表する、計画会議を開いています。
彼は、NGO関係者や、PENCの他のメンバーたちの前で
「5月中に養蜂研修を開催します」と大見得を切った手前、
「やっぱり、間に合いませんでした」とは言えず、
是が非でも5月中の開催に拘っているようでした。

6月1日、研修会場である、村内の会議場に行くと、
なんと、そこにOusman氏がいて、なんか、
別の会議が行われているではありませんか!
俺も講師も、目が点になりました。
彼は、同じ日に予定を複数、入れていたのです。
しかも、同じ場所で。
そんなこと、一切知らされていませんでした。
養蜂研修にやってきた村人たちも、
「あれ、何やってんの?いつ、始まるの?」、と。
その会議が終わり、講師が自分の型枠を持って研修
会場に戻ってきたときには、既に12時を回っていました。
そしてその頃、Ousman氏はまた、別の用事でどこかへ。

完全に「放置」された俺、講師、研修参加者は士気もダダ下がり。
時間も限られる中、とにかく、急いで養蜂箱の製作を始めます。


前回の研修のときは養蜂箱を作りながらも、講師が
養蜂箱の特徴、蜂の特性、採蜜の仕方などの
講義を交え、参加者からの質問も飛び交いました。
しかし今回は、養蜂箱の製作にだけ集中せざるを得ませんでした。
日中はとても暑いのですが、昼休憩も早々に
切り上げ、ひたすら、作業を進めます…

Ndiao Bambali養蜂組合 初採蜜

昨日夕方から泊りがけで、Ndiao Bambali村に行ってきました。
ここはMedina Sabakh村からかなり遠く、俺がフォローしている
養蜂でもないのですが、俺が注目している養蜂サイトのひとつです。
もとから周辺の村どうしであった村落開発組合を基礎に、地元
NGOからの支援を取り付けて、組織的な養蜂をやっています。
昨日は、昨年、茂みに設置した養蜂箱の初採蜜というわけで、NGO
からスタッフ2人を呼び、養蜂組合の採蜜担当者たちが集まりました。
そういう情報を、養蜂組合長Backa氏
から連絡をもらって、俺も馳せ参じたわけです。

17時半に到着。

しかし、メンバーと道具が全部揃ったのは夜中22時ぐらい。
メンバーは全員で7人ぐらいだったでしょうか。
が、用意された防護服は4着…。
「どうぞ、どうぞ、防護服、着なよ」
「いや、俺は採蜜したことあるし、いいよ」
「俺は着るぞ」
など、ダチョウ倶楽部のようなやり取りをしたあと、男たちは
車にすし詰め状態になって森に向かっていきました。

アナフィラキシーショックになったことの
ある俺は、一人、宿泊先でお留守番です。
風邪をひいて遠足に行けない子どものような気分。
「いーなー、おっさんたち、楽しそう」、と。

0時ぐらいにみんな、帰還。
一仕事終えた感じで、みんなテンション高めで楽しそうです。
夕食。
玉ねぎ、じゃがいも、茹でマカロニ、鶏肉を
油でいためたものをパンにつけて食べます。

就寝。

今朝、7時過ぎにBacka氏が来て、起床。

蜂蜜のろ過作業は明日行うということで、その準備作業として、
巣片を今日のうちに細かく切っておき、ろ過作業は2段階で
行えば作業が早く進むこと、ろ過の最中に家畜に食べられ
ないように気をつけることなどのアドバイスをしました。

また、昨日の採蜜現場には行けなかったものの、
取ってきた巣板の入ったたらいを見ると蜂がたくさん
いたので、「巣板を切るときに、ブラシで
蜂を払い落とさなかったんでしょ?」と指摘。
蜂を巣板と一緒に持って帰ってしまうと、その蜂は羽に
蜂蜜がべっとりついて飛べなくなったり、蜂蜜に
溺れたりして、結局、みんな死んでしまいます。
巣板を切るときに、巣板に付いた蜂を払い落としてやると、
地面に落ちた蜂はまたしばらくすると、養蜂箱に戻って
いき、明日から仕事をし始めることができます。

さらに、昨日の養蜂箱の中の様子を聞き取り。
カートリッジ22本中、17本に蜂蜜が入っていて、残り5本は巣と
蜂児だけだったので、5本は残して、17本を切り取ったとのこと。
さすが、本数をきちんと確認していました。
しかし、ダメです。
養蜂箱に残された蜂と蜂児の当面の食糧として、
2~3本分の蜂蜜は残しておかないといけません。
17本に蜂蜜が入っているなら、取るのは15本。
そういうことを指摘。

「採蜜のときは、如何に、養蜂箱内の群勢を保つか」
つまり、労働力としての蜂、未来の労働力となる蜂児、
彼らの当面の食糧となる蜂蜜へのダメージを少なくすること。

たかが、1年足らずの付け焼刃的な俺の知識と経験ですが、
Backa氏はそれをメモして、「今回は初めての採蜜だったから。
次回は、もっと良い採蜜をする。」と意気込んでいました。

蜂蜜は養蜂箱ごとに味や粘度や色が違うん
ですが、ここの蜂蜜は特別、変わってました。
かなりねばねばで、少し赤みを帯びた黒っぽい
色をしていて、味もなんと言うか、コクがあります。
熟成されたということなのか? 美味しいです。

(追記)

「Mon ami j sui tr?s contend d ton voyage ici a Ndiao Bambali j souhaite une bonne nuit.

Nu fanan ak diame pierre. M. FAY」

こういうメールが昨夜、養蜂組合長Backa氏から届きました。

「(フランス語)私の友達よ、あなたがここ、Ndiao Bambali村まで来てくれたことが、

本当に嬉しい。おやすみ。(ウォロフ語)おやすみ。 ピエール・メイサ・ファイへ」

なんというご丁寧な心遣いか!

昨日の朝の時点では、彼の携帯にはプリペイド料金の

残高が皆無だったので、その後、買い足したようです。

このメールを送るのにも、お金を使っているわけです。

ありがたいことです。

帰国後のこと(4)

前に、「こういう人になりたい!」と思えるような開発
ワーカーに出会えることを期待してきた、と書きました。
今、俺にとって、「こういう人になりたい」と思える人は、先進国からの
開発ワーカーたちではなく、途上国側の有能な人たちの方です。
第三者的に、他国を「開発」する人たちではなくて、その地に代々
暮らしてきて、それぞれ、農業なり、商店なり、公務なりのなりわいを
持ちながら、少しずつ、自分たちの暮らしをよくしていこう、発展させて
いこうとする人たちの方になりたいと思うようになってきたのです。
彼らの中には、地元の開発系NGOや住民組織で役職と給与を
もらって働く人もいれば、外から援助だプロジェクトだを自分の村に
引き入れてこようと奔走する村人もいれば、去年と少し、
作付け方法を変えて収量アップを試みる農民もいます。
もちろん、セネガル人みんなが
みんな、そういうわけではないですが。

開発や発展や改善には終わりはないわけで、俺が
よく村人と話すネタで、こういうことを言っています。
割と、セネガルの村人たちもうなづいてくれます。

「セネガルにある問題は、日本にはない。
日本にある問題は、セネガルにはない。」


(写真)雨季で崩れた道路を補修する工事

かなりざっくりとした言い方なので、異論はあるかとは思いますが。
つまり、電気、水道、基本的な教育、衛生、交通網などの
分野では、セネガルはまだまだ問題を抱えていて、
日本ではたいてい、そういう問題は解決済みです。
一方、日本ではホームレス、過労死、無縁社会による孤独死
などの社会問題、限界集落を生む過疎化、商店街の衰退
など、セネガルにはあまりない問題が起こっています。
今回の東日本大震災のような、突然の天災も起こります。
日本で暮らす日本人が、自分たちの暮らしを
良くしていく余地はいくらでもあります。
別に、特別な職業や役職に就かなくても、普通に暮らしながら、
少しでも、地元、高松に貢献できる人になれればな、と思います。

さて、今日はPENC Diama Gadioという
住民組織が開く養蜂研修に、参加してきます。
泊りがけで。

帰国後のこと(1) (2) (3)

第2回養蜂研修の準備

今年1月にNdiawara村で養蜂研修を開いたのに続いて、
今度はMedina Sabakh村にて養蜂研修を開きます。

Ndiawara村のときは、既に養蜂箱を持っていて、まだ研修を受けた
ことのない村人から、研修の要望が出されたのですが、今回はまだ
養蜂箱を持っていない村人から、研修の要望が出されました。
俺が養蜂支援をしているのを知った村人がよく、「養蜂をやりたい」とは
言ってくるのですが、今回の村人は半年以上前から、
養蜂への意気込みを示し続け、ついには、住民組織
PENCを通してまで、養蜂研修の開催を依頼してきました。
具体的な相談もなく、準備期間も十分に与えられないまま、
PENCの活動として養蜂研修が5月の予定として組み込まれ、
そのコーディネートは俺、という、半ば強引な
丸投げで今回の研修が決まりました。

今回は既に養蜂箱を持っていて、養蜂をしている3ヶ村と、まだ養蜂箱を
持っていない3ヶ村、計6ヶ村から12人を対象に研修を開きます。
養蜂組合は3ヶ村で1つ、計2組合を立ち上げ予定。
今回はPENCとの共催ということでPENC側と交渉をし、前回の
研修で面倒だった、参加者への交通費支払い、昼食準備と、
前回は有償でレンタルした金属製の型枠を、PENCの予算で
新しく製作する、ということでコストを分担しました。

セメント製養蜂箱は木製養蜂箱に比べて材料費が安く、製作も
簡単で、それでいて長持ちするというメリットはありますが、
金属製の型枠にセメント製を流し込んで整形するので、
どうしてもその型枠が必要になってきます。
で、この型枠はおそらく、ニオロ県内に1つしかなく、
前回はそれを有償で借りたというわけです。
しかし、持ち主は有償でも、あまり人に貸し出したくは
ないようで、且つ、重くて持ち運びも大変。
そういうわけで、PENCとして新しく型枠を作ってMedina Sabakh
村内の倉庫で所有、管理しておけば、今後、養蜂を始めたい
とか、養蜂箱を増設したいという要望が出てきたときに、村人が
型枠にアクセスしやすくなるので、俺の離任後の養蜂業の
発展にも宜しいのでは、と思うわけです。


先日、型枠の持ち主のところへ、PENCの代表、
金属加工屋と一緒に行き、型枠の採寸をしました。
ちなみに、ガラシャツ、タバコ、サングラスの
不良おやじはPENCの運転手です。

おとついは仕立て屋と一緒に布屋などを回って
防護服の材料調達をし、6着分の仕立てを発注。
生地は24m買う予定だったのですが、俺たちが買った2日前に
あるセネガル人客が来て、テコンドーの胴着用に
として大量に買って行ったらしく、21mしか買えず。
確かに、防護服の生地はテコンドーの胴着にも合いそうです。

昨日はKaolack市の工具屋で長靴6足を購入。
長靴は都会にしか売っていない代物です。

Kaolackへ行ったついでに、ネット代を支払ったり、DELFという
フランス語試験の受験申し込みをしたり、プリンターのインクや
印刷用紙を買ったりと、諸々の用事も済ませました。

研修講師を依頼するBabacar Diop氏を
Keur War村に訪ね、日程調整。
今回は参加者も多くて、全員の日程が
合う日に調整するのに苦労しています。
また、そろそろ雨季が来るので、農民たちは畑の
準備を始めていて、あまり村を離れられない
という事情もあり、研修は3日間から2日間に短縮。

夕方、Medina Sabakh村の
隣村の工具屋で資機材の一括購入。
ドラム缶2つ、一輪車一杯の砂利、セメント2袋、鉄骨12m、
棒材4.5mなどなど、でかくて重い資機材を、いまや
友達となった馬車主を呼び出して、積み込み、搬送。
途中、馬が暴走したり、搬送先を馬車主が勘違いして
誤配したりしましたが、なんとか、保管倉庫に到着。
へらへらした馬車主ですが、暴走する
馬(名前:ムーリッド)を抑える姿はかっこいいもんです。
プロです。

PENC代表に鍵を開けてもらって、みんなで倉庫に積み下ろし。

昨日一日でKaolack買出し、Keur War打ち合わせ、
Keur Ayip一括購入、搬送をやり、帰宅は21時。
疲労困憊。

今日も資機材の購入と、防護服の
状況を見に出かけてきます。

帰国後のこと(3)

続編、(3)です。


(写真)地元住民組織の開発計画会議

「いや、自分の暮らしを犠牲にしても、国際協力を!」
という理屈もあるかと思います。
しかし、その国際協力というものに対しても、考えが変わってきました。
先進国側による国際協力、援助が要らないとは言いません。
要ります。

しかしながら、そういった事業は途上国側に有能な
パートナーが居てこそ、成しえるものであると実感します。
パートナーというのは、例えば、途上国側の政治家や役人だったり、
技官、医療関係者、教員だったり、村の組合長だったり、
もしくは、村の一若者も開発事業の有能なパートナーと成りえます。

逆に、途上国側に有能なパートナーが見つからなければ、開発
事業は成功を見なかったり、プロジェクト期間中は成果を出しても、
終了後の継続はしなかったり、ということです。

そして、事業のターゲットがよりローカルであればあるほど、
その担い手は先進国からの外人開発ワーカーではなく、
途上国側のパートナーであるべきであると思います。

一年間を通しての、農業や遊牧などの生業サイクル、気候の移り
変わり、学校の長期休暇、定期市は何曜日か、お金や時間の
価値観、冠婚葬祭などの慣習、村と村との軋轢、人間関係など、
そこに住む人なら誰でも知っていること。
そんな当たり前のことを外人開発ワーカーは知らない
まま、気づかないままにプロジェクトを進めていって、
「ん?どうしてうまくいかないんだ?」という具合。
もしくは、そんなへまはするまいと、資料を読み込んだり、
住民への聞き取り調査をかけたりする、
慎重な外人開発ワーカーもいるわけです。
地元民なら当然知っていることを知る
ために、時間と費用と労力をかけて。

極端に言えば、現地に超有能なパートナーさえ
いれば、ドナー側(先進国)は必要な資金と機材を
投入してさえいればいいのかもしれません。

ここ、セネガル共和国のメディナサバ村に暮らしてみて、地元の
有能なセネガル人たちに出会って、感化されすぎでしょうか?

帰国後のこと(1) (2)

帰国後のこと(2)

さて、(2)です。

これまでずっと、国際協力業界に進んで
メシを食っていこうと思っていました。
大学生の頃から志すようになったので、
かれこれ、10年間、そう考えてきました。
大学では開発・環境専攻、社会人経験を積むべく民間企業に
3年半勤め、JICAの元プロジェクトサイトである、セネガル
共和国ニオロ県へ協力隊としてやって来て、今に至ります。


(写真)日本政府の援助で立てられた、メディナサバ村給水塔

ここセネガルは紛れもなく、その国際
協力業界を生で見れる、「現場」です。
JICAに限らず、欧米の開発援助機関や国連機関、国際
NGOなどの国際協力事業をあちらこちらで見聞きします。
狙いどおりです。
そう、こういう現場に浸かりながら、「こういう仕事がしたい!」と
いう専門分野を見定めること、「こういう人になりたい!」と
思えるような開発ワーカーに出会えることを期待してきました。

しかし、ここで1年間暮らしてきて「こういう仕事をしたい」、
という思いよりも、「こういう暮らしを送りたい」
という思いの方が強くなってきました。
「こういう仕事」というのは国際協力事業のこと。
「こういう暮らし」というのは、途上国で働く開発ワーカーたちの
暮らしではなく、途上国で暮らす村人たちの暮らしのこと。
妻子を連れて途上国で暮らす、もしくは妻子を日本に残して
単身赴任で途上国で暮らす、もしくは独身で、という暮らし方
よりも、家族、親戚、友人に囲まれて、同じ村でずっと暮らす
方が、よっぽど、幸せな暮らしのように見えてなりません。


(写真)村のお昼ご飯

ここセネガルの村人たちを見てそう感じますし、日本でも、
同世代の友人たちが結婚して、子どもが生まれて、
という様子を見ているとそう感じます。

どうしても、就職とか収入のことを考えると、「どんな仕事がしたいか」
ということを考えてしまうわけですが、案外、「どう暮らしたいか」という
ことはこれまであまり、考えてこなかった気がします。

帰国後のこと(1)

養蜂家支援の日常

「帰国後のこと (2)」を書くかと思いきや、蜂の話です。


Kayemor村Moustafa Ndiaye氏の蜂蜜。
去年の6月だったかな、俺が初めて採蜜作業に
関わった養蜂箱の2度目の採蜜です。
全部で15Lぐらい採れました。
彼の養蜂箱は2段式でラングストロース式と呼ばれる
タイプで、下段は蜂児、上段は蜂蜜というふうに、
段ごとに中身が分かれる、というものです。
今回、養蜂箱を移転する必要があって、箱を軽くするために
全巣板を取ったのですが、確かに、下段から取った方には
蜂蜜が少なくて、白い蜂児が多く、上段はその逆でした。
なるほど、理論どおりです。


蜂蜜の搾りかすを砕いて、洗って、煮出して抽出する蜜蝋。
この作業は今まで、自宅では3回ほどやって
きましたが、今回、初めて、村でも作ってみました。
巣房の量の割には、蜜蝋は少なかったですが、まぁ、成功。
写真は、トマト缶に溶けた蜜蝋を入れて、
冷えて固まるのを待っているところです。

昨日は、Ndiagn?ne村の養蜂箱を養蜂家と一緒に見に行きました。
1月の養蜂研修で作って、設置したもので、
順調に蜂群が勢いを増しているようでしたが、


外ぶたがずれている!
犯人は、風か、家畜か、子どものいたずらです。

「すぐに直したいから、防護服を貸して欲しい」と言っている
矢先、養蜂家はまぶたを一発、蜂に刺されていました。

こうやって、村に足を運びつつ、次の養蜂研修開催、防護服や
機材の製作のための予算申請の事務作業もやりつつ、です。

帰国後のこと(1)


Kayemor村からの帰り道の風景。
「あ~、アフリカに居るんだな」と、思いました。

さて、アフリカに来て思ったわけです。帰国後のこと。

2年間という定められた年月が過ぎれば、
必ず、協力隊の任務を終えて、帰国します。
協力隊の受験前から、帰国後のことを考えている
人もいれば、帰国数ヶ月前になってから、
「さあ、どうしよう」と考える人もいるでしょう。

俺の場合は、ある目的を持って協力隊に臨んで受験し、
協力隊に参加すること自体が目標ではなくて、あくまで、
目指す目標に至るまでの通過点と考えてきました。
そういうことを、1年と少し前、派遣前
訓練の頃のブログに書いてあります。

変わりました。

帰国したら、家族と一緒に、日本、
地元の高松で暮らしていきたいと思います。

誤解がないように書いておきますが、何か、つらいことが
あったとか、内向きの人間になったということじゃないですよ。
むしろ、自分の進みたい方向が今まで
以上にクリアーになった気がします。
元気です。

1年前と今で、こんなにも考えが変わっているので、今と
1年先とでも考えが変わる可能性は十分にあるんですが。

自分の考えを整理するためにも、これから
5回ほどに分けて、書いてみようと思います。