発熱、再び

 8月7日、23:30。

気のせいか、のどの痛みと、寒気がする。

床に就くも、あまりにも寒くて寝られない。

普段はTシャツと短パンで寝るのだが、ベストとセーターを
着て、長ズボンと
靴下を履き、バスタオルと毛布をかぶり、
寝る、というより、寝込む。

深夜3時ごろ、あまりにもしんどくて目が覚める。

体温、39.0℃。

解熱剤、パラセタモールを服用する。

朝、相変わらずふらふらの状態。

体温は38.1~38.3℃。

前回の解熱剤服用から6時間は経っているものの、

38.5℃は超えていないので、追加服用は抑えてみる。

昼前、大家さんに、

「病気だ。熱がある。ご飯が作れないから、持って来て欲しい。」

と、SOSを出す。

発熱、軽い下痢、のどの痛みは前回と同じ。

今回は軽い頭痛と軽い咳もある。

風邪だと思う。

昼食は、赤チェブ・ジェンが来た。

おなかには優しくないやろうけど、おいしい。

ただひたすら、寝る。

熱があると、よく寝れる。

夕方、急に汗が出てきた。

汗が出ると、熱が下がる。

計ってみると、37.7。

下がってきている。

よかった。

日本では発熱なんて、ほとんどなかった。

大学生のときにインフルエンザで発熱した以来、たぶん、なかった。

でも、ここはセネガル。

体調も日本とは違うようだ。

大家さんが心配して、様子を見にきた。

「朝よりは良さそうだけど、まだ熱がありそうだな。

 パラセタモールは飲んだか? ゆっくり治しなさい。」

ありがたいの一言に尽きる。

(追記)

今朝、起きたら体温が35.7。

低っ!

とりあえず、熱はおさまった。

でもまだ、のどの辺りが痛かったり、
体調が万全ではない感じがすごくする。

今日は村の水道技師と一緒に、Ndiawara村の野菜畑の

配水設備の不具合を見に行く予定やったけど、延期した。

養蜂箱の引越し2

日はとりあえず、養蜂箱を森の木に仮置きしただけ。

暗いと、作業もうまく進まない。

セネ人も、養蜂マニュアルでも、
「作業は蜂がおとなしくなる夜にすべし」
と言っているが、
養蜂の専門家に聞くと、
作業が見えやすい日中にする方がいいらしい。

なるほど、前回の採蜜は夜中にやったのに、ものすごい勢いで襲われた。

全然、おとなしくなかった。

あれなら、見えやすい日中の方がいいわけだ。

夕方、防護服一式を持ってHamballaye Tiam?ne村へ。

Sakou氏は椅子に腰掛けて、村人と談笑していた。

よく見る光景。

もぬけの殻だった養蜂箱を開けてみる。

そしたら、また、蜂が居なくなっていた。

その代わりに、朽ち果てた蜂の巣と、
よく分からん虫が大量にわいていた。

これでは、蜂も寄ってこないし、新しく巣が
作られ、蜂蜜を貯めることもない。

Sakou氏と養蜂箱の清掃を行うことに。

かすかすの巣もあれば、以前は蜂蜜がいっぱい
詰まって居たんだろうなと思われる巣も。

一切合財、きれいにする。


(写真)
巣を清掃するSakou氏。

きれいにして、木の股に固定する。

固定も針金なんかは使わず、木の枝を折り曲げて行う。

たとえそれがベストな方法でなくても、そこにあるものを使う。

それが、村。


(写真)
木の枝で固定した二段式養蜂箱。

数ヵ月後、蜂が住み着いて、新たな巣が作られ、蜜が採れることを祈るばかりです。

養蜂箱の引越し1

 先日、ニオロ市の森林局にある養蜂箱を、メディナサバ村の

隣村、Hamballaye Tiam?ne村に移しました。

前回の発熱の前に書いた、この件です。


所長に話して、森林局のトラックを出して
もらい、それで運ぶことにしました。

夕方、ニオロの同期隊員と一緒に作業開始。

運ぶ養蜂箱は2個。

うち1個は2段式。

2段式の方は既に蜂がまったくいないもよう。

しかし、もう1個の方は蜂がまだ、大量に住み着いている。


(写真)
蜂のいる方の箱


(写真)
蜂のいない方の箱

まずはもぬけの殻の方をトラックに積み込む。

次に、蜂のいる方。

なぜか、ニオロの隊員宅に煙球があったので、
それを箱の下に仕掛け、煙を炊いてみる。

すぐさま、その箱ごと、袋状になったビニールシートに入れる。

端を締める。

積み込む。

なんと、スムーズな作業。

まったく襲われなかった。

一緒に作業をした同期隊員の専門は野菜栽培で、

日本でも各地の農場で働いてきた経験がある。

その経験から、「作業の段取り」の良さには正直、感心させられた。

如何にスムーズに作業をするか、打ち合わせをしっかりとやる。

前回の採蜜のときはそういうことは一切せずに、かなり苦労させられた。

勉強になりました。

二人で安心して防護服を脱ぎながら喋っていた

そのとき、ほんの数匹が俺ら二人を襲ってきた!

蜂が追いかけてくる!

俺は手を、同期隊員は耳を刺された。

よく見ると、箱をくるんだビニールに穴があって、
そこから蜂が出て来ているではないか!

道具を慌ててトラックに積み込み、村へ向けて出発。

45分ぐらいかけて村に到着。

着いた頃は既に夜。

暗い中、村のおっちゃん、Sakou氏と防護服に着替えて、作業をする。

まずは、ちゃんと段取り。

森のどの木に仕掛けるか、事前に下見をして、二人で確認をする。

蜂の入った養蜂箱をSakou氏は頭の上に載せて運び、俺はライト係。

設置場所に着いて、ビニールから箱を取り出し、木の股に設置。

もぬけの殻の方は俺の家の物置で保管しておくつもり。

だったのだが、トラックで移動中に、なんと、蜂が

そっちの箱にも既に引越しをし始めていて、蜂がいる!

俺の家は周りに人家も多く、蜂に刺される人が出ると

よくない、ということで、この箱も村の森に置くことに。

作業を終えて帰宅したのは22時前。

とても、疲れた。


(写真)

別件。

ニオロにある地元NGOの事務所に行ってみた。

NGOのスタッフや、ニオロ県内の住民組織の

リーダーたちが一堂に会して、講習会をやっていた。

まず、顔からして、みんな、賢そう。

この人たちがセネガルの村落を良くしていく。

これはその講習会で使われていたウォロフ語での掲示物。

豚祭り2

ダカールでの療養からメディナサバ村へ戻って
まもなく、第2回豚祭りが開催されました。

今回はニオロ以外の隊員、セネガル以外の隊員、それに、

隊員ではないゲストまでご来場いただき、総勢11名!

このメディナサバ村に日本人が11人も集まったことはあっただろうか。

いやー、にぎやかでした。

そんなにぎやかな雰囲気の中、豚さんは天に召されました。

屠殺のときの俺の役割は今回も後ろ足を持ち上げるというもの。

入刀、首の固定はやはり、俺には無理です。

今回は前回ほど豚さんが泣き叫びはしなかったものの、頚動脈を仕留めて

首を掻っ切るのは難しく、豚屋のお兄さんの助力をいただきました。


 (写真)

豚の毛を抜く作業。手前が尻、奥が頭側(頭はもうないけど)。

今回は前回の3人と違って人手が多く、いくつモノセクションに

分かれて、同時進行でいくつもの料理が出来上がっていきました。

レバーやハツの塩焼き、ブラッドスープ、スペアリブ、焼肉、

シュウマイ、ソーセージ、降ろしポン酢がけの豚カツ、豚骨スープ。

俺は主に、足の肉を骨からはずしたり、皮をはいだり、豚カツ用の

パン粉を作ったり、シュウマイの作り方を調べたりしていました。

 
(写真)
バジル入りソーセージ

やはり人数が多いと、作業が進むだけでなく、楽しい!

あのがやがや感が楽しいね。

発熱

 今朝未明、ものすごく寒くて目が覚めた。
毛布を出して、それをかぶって寝た。

あとで思えば、あれは悪寒だったんだな。

06:00 38.3℃ 軽い吐き気あり
09:40 37.3℃ 全身に倦怠感と筋肉痛
12:40 37.7℃
15:30 38.2℃
17:20 38.9℃
18:00 解熱剤パラセタモール1錠服用
19:00 38.0℃
19:45 37.1℃

という状況です。

最近、同期たちがバタバタと倒れてダカール上京する中、同居隊員と
「俺たちは2年間、健康面も安全面もノーミスでいきましょう」
と言っていた矢先。

いきなりやってきた、この発熱。

このままパラセタモールのおかげで熱が下がって落ち着けば
いいけど、また上がってくるようなら、明日、ダカール上京です。

(追記)
結局、その後、また熱が39度近くまで上がり、今朝、
解熱剤を服用し、ダカール上京してきました。


隊員ドミトリーに往診に来てもらって、マラリア検査を受けたら、陰性。
血液精密検査の結果待ちです。
夕方、また39度近くになり、解熱剤を服用して今に至ります。

(追記)
昨夜、やはり解熱剤がちょうど切れるころに、発熱の
前兆、鳥肌が立ち始めて、すかさず解熱剤を投下。
その後、ぐったりするほど汗が出たけど、熱は抑え込めたみたい。
現時点で前回の解熱剤服用から12時間
経っとるけど、今のところ、平熱を維持。
もう解熱剤の効き目は切れとる頃なんやけどな。
治った?

(追記)

その後、本当に熱が上がることはなく、JICA事務所で医療費や

交通費を申請、受け取り、本日、ダカールを脱出しました。

メディナサバにはまだ戻ってませんが、ニオロ市まで戻ってきました。

村へは明後日、戻る予定。

セネガルってどんな国?

バイクが来るまでの3ヶ月間。
買い物したり、家事をしたり、たまに村へ
行ってみたり、たまに遠出したり。

ボーっと考える時間は十分にあります。

思ったことなど。

<セネガルは…>
1.都市部から農村部まで、大小問わず、海外の開発援助が入っている。

2.停電、断水は日常茶飯事ではあるものの、
  中規模の村でも水道、電気のインフラが届いている。
  携帯電話も、国道から遠く離れた村でも「圏内」。
  国道もかなり上等。

3.海外からの開発援助だけでなく、それらとしばしばタッグを
  組んで活動する、セネガルの地元NGOもけっこうある。

4.どんなに小さい村にも「女性組合」がある。
  「野菜組合」もけっこうありそうで、法人登録しているものもある。

5.一見、好き勝手やっているように見えて、
  ちゃんと管理されているっぽい。
  個人営業しているように見える交通機関。しかし、ドライバーが
  税金だかなんだか、お金や切符を払っていたり、ガラージュ
  (ターミナル)で取り仕切っている人もいるし、運賃は各区間一律で
  決まっていて、値上げのタイミングもかなり広範囲にかけて一斉同時。
  村での肥料販売や、育苗ポットの配布なんかも、各村々の
  おっさんたちはどうやってか、ちゃんとそれについての
  最新情報を持っている。

<セネガル人は…>
1.案外、よく働く。暑くても、よく働く。

2.案外、まじめ。

<セネガル人の豊かさ?>
「金がない」「仕事がない」とかと言いながら、
本気で困窮していそうなセネガル人はあまり見ない。

生産物を市場に売る際は、こちらからすれば「え、そんな
値段でいいの!?」って思うような安値で売ったりする。
うまく言えば「利潤の追求」、いやらしく
言えば「がめつさ」があまりない。
実際、俺が買い物をするとき、値段を聞いて「高いな」と
思ってその場を去ろうとしても、アジアでよくあるような
客を引き止めるということがあまりない。

と、思いきや、ある村ではレタスの消費が伸びるクリスマス前に
合わせて、レタスを大量生産し、都市部で高値で販売
するという、「うまくやっている」野菜組合もあるらしい。

聞いた話だが、雨季が終わって、農作物を売ってたんまり稼いだお金。
村人たちはタバスキ(イスラム教の犠牲祭)で惜しげもなく
お金を使い、次の雨季が来る直前には、すっからかん。
それでも、いいんだろうな、彼らからすれば。

と、思いきや、農作物の収入の一部を村の野菜組合に入れて
蓄え、村での農業への投資に充てているところもあるらしい。

<食糧不足?>
ある統計資料を読むと、セネガルの農村部では「食糧不足」らしい。
都市部と比べても、摂取カロリーは低く、
必要摂取量に達していないとも書いてある。
なるほど、確かに村へ行くと食事がひもじいことがある。
肉や魚などの蛋白源も十分に取れているのか、怪しい。
しかし、そんな村でもやせ細った人は見たことがない。
むしろ、俺より、余裕で肉付きがいい。

バイク到着

AG100
任地に赴任して早々に、運転免許試験のための
書類を揃え、申し込み、
受験その1、受験その2を
受け、JICAに提出する諸々の書類を作成、提出。

本日めでたく、単車がJICAセネガル事務所から貸与されました。

ヤマハのAG100。

オフロード車ですね。

これで、乾季の深い砂道、雨季のぬかるんだ
泥道もごりごり走って行けます。

たぶんね。

待ち望んだバイク。

しかし、いざ届くと、「届いてしまった」という感もあり。

バイクが来るまでに、もっとウォロフ語が上達
しとる予定やったのに、あんまり…。

とはいえ、言い訳なし。

いよいよ、自分の足での活動が始まります。

ちょうど今は雨季に入って、植林の季節。

今日も、ある村で地域苗畑の管理をしている

セネガル人から、苗のことで電話があったところ。

育苗ポットに播種され、発芽、その後の生育状況を見つつ、

ある程度になればポットごと土に埋める作業になっていきます。

メディナサバ村の森林局技官も、その苗畑のフォローであちこち

村に行くはずなので、一緒について行ってみたいと思います。

一方、養蜂。

昨日の夕方、食材の買出しにと、村のマルセ(市場)に行って、

いつものように誰とも分からんおっちゃんたちと会話。

セネ

「俺は以前、日本人のボランティアと一緒に活動をしていた。

パカン村の女性組合を対象とした、染色研修とかな。」

わか

「ほう!そのボランティア(前々任者のこと)とは会ったこと

ないけど、報告書でそういうのを読んだことはある。」

セネ

「で、お前は何の仕事をしているんだ?」

わか

「養蜂。」

セネ

「じゃぁ、養蜂箱をくれ。」

わか

「(ほら、きた…) 持ってない。養蜂にはお金がかかる。」

セネ

「知っている。しかし、防護服、燻煙器、ゴム手袋、

長靴、養蜂マニュアルはすべて持っている。」

わか

「!!」

セネ

「2~3年前に、あるプロジェクトが養蜂研修をやっていて、その人たちが道具をくれた。」

わか

「どうして養蜂箱だけがないの?」

セネ
「知らん。」

そのまま、そのおっさんの家に行くことに。

行くと本当に、未使用の養蜂機材一式とマニュアルがありました。

俺は養蜂全般のマニュアルは引継ぎでもらったけど、
おっさんの
マニュアルにはセネガルでの養蜂に
ついても書いてあり、非常に興味深い。

また日を改めて、おっさんと養蜂について話すことになりました。

いやー、こんな近所で養蜂を始められそうな地元民が居たとは。

というのは、俺も養蜂初心者の身。

できるだけ近場に置いて、こまめに観察
できれば良いなと思っていたところ。

しかも、このおっさんはフランス語だけで
なく、少し英語も話す、インテリ。

海外のプロジェクトとも何度か絡んだことがあるとか、ないとか。

養蜂箱、実は、ある。

俺の配属先である森林局に置いてあって、最近、その蜂が

増えすぎて森林局のスタッフをたまに刺すと言って、

「あの養蜂箱、どっかの森に置いてきてくれないか」と
言われていたところであります。

攻撃的な蜂入り養蜂箱を悪路25km、
どうやって運ぶか考えどころですが。

おもしろくなりそうです。

 ハエ
(写真)ハンバーガーを包んでいた紙に群がる、無数のハエ

月、火、水と、首都ダカールに上京してきた。
火曜に安全対策なんちゃら会と、隊員総会というものが
ありまして、セネガル中の全隊員が集合せないかんわけです。

ダカールまでは、隣村のクールアイプから直行のセット
プラス(「7人乗り」という意味の車)があって、6時間ぐらい。
ダカールに着いて、JICAセネガル事務所で諸々の
事務的な用事を済ませて、隊員連絡所(ドミ(寮)ですな)で休憩。
夜は同期たちとタイ料理を食いに行きました。
日本にもあるような、こじゃれたタイ料理屋さん、
「Jardin Thailand」。
まー、おいしかったこと。
さすが、首都です。

火曜の総会や安対もつつがなく終了。
夜は「東京酒家」という中華料理屋さんに行きました。
ここは中国の中華料理屋という感じですな。
フランス語も、ウォロフ語もほぼ通じん中国人のおばちゃんと、
その旦那らしき中国人のおっちゃん(料理人)と、彼らと
コミュニケーションが取れとんのか、取れとらんのか
よー分からん、セネガル人のお姉ちゃんが店員。
これまた、おいしかったこと。
中華料理はセネガルでもうまいということが分かった。

水曜は先輩の一年次報告会を見てきた。
で、午後には足早にダカールから村への帰途に着きました。

他の隊員は分科会や、飲み会とかあって、
もっと長くダカールに滞在するんやけど。

ダカールはねー、なんでもお金高くつくし、外人にお金ふっかけて
くるけん都度、交渉せないかんし、治安悪いけん緊張するし、
ドミは人いっぱいで、寝室のエアコン寒すぎる。

疲れます。

落花生畑
一方、村に帰ってくると、名前は分からんけどよく顔を会わす
おっさんたちが「どこ行っていたんだ。しばらく見なかったぞ。」
と挨拶してくる。
買い物でもウォロフ式の値段を言われて、こっちがそのとおりに払うと、
「お、外人なのにウォロフが分かっているな」と、店主が笑う。

(ウォロフ式の値段)
例:「5,1,10」と言われたら、これは300フランのこと。

やっぱ、おらが村がいいですな。

今日は庭の草刈りをした。

昼飯を作るのをめんどくさがって、一食抜いたら、
完全にエネルギー切れした。
空腹になる前に、身体に力が入らなくなってしまった。
暑い上に、体動かしたのに、食を抜くとこうなるんだな。

午後は電気があったから、ブログ開設の準備をしたり、
室内物干し場を作ったりしていた。
外で干していたら、いきなり豪雨でびしょ濡れに
なることがある。雨季ですな。

(写真:村の乾いた平原も、一面の落花生畑になりました)

土木工事と蜂の猛攻(1)

 意外と、半月ぶりの更新となりますか。

最近の出来事は、土木工事と蜂の猛攻ですな。

では、土木工事の報告。

6月末の1週間弱をかけて、タンバクンダ州の
クサナール&サーレブーブ村→シンチューマレム村
→タンバクンダ市と回ってきました。

きっかけは6/23(水)、食材を買いに村の市場あたりを歩いて
いたら、たまたま、Amat Seckに会いまして。
彼はニオロ県内で行われていたJICAのプロジェクト、PRODEFIの
メディナサバ郡担当の元animateur(普及員)。
プロジェクト終了後は、識字教育系のNGOで働き、今回
聞くと、今は国立土壌研究所で働いていると。
で、「その研究所の仕事で、明日からクサナールに行く。一緒に
行くか?」と言われ、ほいほいと付いて行くことにした。
その仕事というのは、枠堰(わくぜき)建設。
木材で枠を作って、その中に石を放り込んで造る堰、
つまり、小さなダムみたいなものです。
アフリカ・セネガルと聞くと乾燥したサバンナを想像するかもしれ
ませんが、雨季には日本でのゲリラ豪雨並みの豪雨に見舞われ、
土壌がごっそり流されて洪水や、農地消失といった被害が出ます。

それを防止するのがこの枠堰。
大型建設機械が要るわけでもなく、道具はスコップ、つるはし、ペンチ、
メジャー、刷毛ぐらいで、資材も木材、石、針金、タール(白蟻対策)
なので、比較的、造りやすいですな。
それで、PRODEFI時代にメディナサバ界隈でも枠堰についての
研修と建設が行われ、枠堰技術を身に付けているニオロの
技術者4人がクサナールへとやってきたわけです。

木材の準備
(写真)木材を切る技術者

で、俺もその作業のお手伝いをさせていただきました。
セネ人技術者からボロ服を借り、真っ黒になりながら炎天下、
ひたすら、木材にタールを塗る作業とか、柱を打つところの
地面を掘る作業とか、木材を運ぶ作業とか、「おい、メジャー!」と
言われたら、「はい!」と手渡す作業とか。
チュバップ(外人)である俺が汗だくになって、ボロ服を真っ黒に
しながら作業していたら、その様子をセネ人にケータイで写真撮られた。
でも、やっぱりセネ人のほうが要領を得とるけん、
結局は作業を見てる時間が長かったんやけどね。

掘削
セネガル人、暑いのによく働く。偉いよ。
この建設は住民参加型というほどのものではなく、あくまで国の機関の
事業なんですが、村の男たちがどんどん、自主的に作業に参加してきました。

柱の位置決め
いかにも長老っぽい村長も自ら、木材を肩に担いで、働いていました。

俺は2日間、作業に参加しただけやけど、約半月かけて村に18の堰を建設するらしい。

このあたりはプル族(別名、フルベとか、プラールとも。)がマジョリティーで、
村中どこでも話される言葉はウォロフ語ではなくて、プラール語。
ここらの隊員たちもプラール語で活動している。
まるで、外国でした。

土木工事と蜂の猛攻(2)

では、蜂の猛攻編です。

メディナサバ郡ンジャワラ村のIburahima Gueyeさんが
「蜂蜜をそろそろ採集したい」と。

このンジャワラ村は、前任者が養蜂箱を設置した村のひとつ。

以前、前任者と一緒に別の村で採蜜をしたので、
今回で俺にとっては2回目の採蜜となります。

しかし、もうその前任者は帰国してしまったので、
俺と村人だけでの採蜜は初めて。

Ibu Gueyeに電話(ウォロフ語)

わか
 「長靴をこの前、カオラックで買ってきた。今日、採蜜に行きたいのだが。」

イブ
 「そうか、ちょうどよかった。今日、NGOが車でこっちに来るぞ。」

わか
 「もう来てるのか?」

イブ
 「いや、まだ。」

わか
 「じゃぁ、そのNGOの車に便乗して行くわ。」

このNGOというのは以前、日記でも書いた薬草プロジェクトのNGO。

早速、連絡を取り、メディナサバを経由してもらい、便乗成功。

夕方にFord車で村に到着し、ひとまず、
畑の様子などを見せてもらいました。

薬草は発芽率がよろしくなく、かなり低密度な畑になっていました。

ライドール
(写真:発芽した薬草、ライドール)

夕食後、22時ごろ、俺、Ibu Gueye、村の男2人の4人で出陣。

防護服(上下)、長靴、ゴム手袋を装備。

蜂をおとなしくさせるための燻煙器と、蜂の巣を切って入れる
ためのナイフとふた付きバケツを手に持って。

養蜂箱は木の上に設置してある。

これは、そうしたほうが箱に蜂が移住しやすいから。

しかし、作業するためにこれを木から降ろすのが大変でして。

降ろした途端、アフリカミツバチの猛攻!

燻煙器とか、全然、歯が立たず。

防護服の着方が不慣れだったこともあり、各員、服の中に蜂が侵入!

俺も頭、首、眉間、指など数箇所を刺された!

一同、総崩れ。

防護服を脱ぎ捨てながら、「走れ!走れ!」の声。

退却であります。

状態を立て直し、リベンジ。

今度は燻煙器ではなく、わらを轟々と燃やしながら。

村の男Arajがメインとなって、養蜂箱から巣を取り出して
蜂を火の中に払い落とし、巣を切り取る係。

Ibuがわらを探してくる係。

俺がそれを火に投入したり、Arajの手元を照らしたりする係。

もうね、暗いし、熱いし、痛いしで、闘いでした。

約1時間後、闘いを終え、林から村の中心へ凱旋。

採蜜隊
(写真:左からIbu Diao, Araj Dinan, Ibu Gueye, わたし)

そして、村でそのまま一泊。

俺含め、みんな、外で寝てたんやけど、月が出てきて
まぶしくなったのか、みんな家に入ったので、俺もそうしました。

朝、馬車で1時間半かけてメディナサバに蜂蜜と、Ibu Gueyeと一緒に帰宅。

これからメディナサバで売るというわけです。

が、なんやかんやで実際に売ったのはその2日後でした。

売り先は近所の森林局技官、Diouf氏。

蜂蜜販売
(写真:左 Diouf氏と、右 Ibu Gueye)

俺にとっても、Ibuにとっても完全に身内です。

俺のイメージでは、1Lある蜂蜜を小さいビニール袋に小分けして、
市場で売るのかと思っていたけど、なるほど、お金になれば
いいので、問題はない
ですね、とりあえず。

楽やし。

売価は1Lで1,500CFA(300円ぐらい)。

ちなみに、都会のスーパーで売られていた、セネガル産の蜂蜜
(製品)は500mlで1,650cfa、フランスからの
輸入品は500mlで
3,250CFA。

これらと比べれば、かなり安い、安すぎる。

と思ったが、Dioufの部屋にたまたま、置いてあった
別の蜂蜜の値段を聞いたら、1Lで1,750CFA。

この蜂蜜は製品ではなくて、別の村の定期市で買った蜂蜜で、
養蜂箱も使わない、伝統的な方法で採蜜された蜂蜜らしい。

たしかに、製品ではなくて、ローカルで売買される蜂蜜は
安いと別のセネガル人からも聞いたことがありましたな。

採蜜のときはバタバタして、養蜂箱内の蜂の
巣を全部、ごっそり取ってしまいました。

本来は、今後の採蜜のサイクルや、蜂蜜の品質を考えれば、
全部取らずに、蜂の巣を選びながら取るのが正しい。

という反省点、次回への改善としてIbu Gueyeと
共有しまして、彼は村に帰りました。

こうして、俺は「蜂蜜の人」となっていくのでしょうか。