雨季の悩み

雨季の悩み。

雨で未舗装の道はぐしゃぐしゃ。
家が雨漏りで水浸し。
蚊や、いろんな虫が大量発生。
足の傷がいつまで経っても治らない。
我が家の畑の雑草の生長速度に、俺らの草刈が追いつかない。
いつ雨が降るか分からんけん、洗濯物が干しづらい。

など、あるわけですが、ここ数日の最大の悩み。

カビ。


俺の部屋では皮製の名刺入れ、短パン、そして、
スーツがけっこうな勢いでカビに犯されております。

スーツについては先月、香川の実家から送ってもらった、
スーツカバーに入れたのが逆に、あだとなりました。
スーツカバーを実家にリクエストしたときは乾季で、砂埃が
尋常でなく、極力、外気から閉ざしたかったわけですが。

隣の部屋に暮らす同居隊員も、机の引き出しの中でカビが繁殖。
ニオロ県内の隊員たちとこの前会ったときの
話題も、「どこにカビが生えたか」でした。

「小麦粉をぶちまけた机の上で繁殖」
「冷蔵庫の中がふさふさ」
「セーファー(紙幣)からカビ」

あー、あと、俺の部屋はネズミの糞が
多いんですが、その糞にもカビ。
もう、勝手にしてくれという気分です。

今日は、カビの生えた衣類を洗濯、
スーツもお構いなしに、天日干しです。
カビ菌って、どうやったら死滅するんやろう?

カビのことなんて、どうでもいいんですよ。


おとつい気づいたんやけど、今月末で、
セネガル派遣から半年になります。
4分の1が経過することになります。
半ば、予想してはいましたが、あっという間に月日が流れていきます。
2年間のタイムスパンを「見える化」すべく、2年間を一枚の
帯にしたカレンダーのようなものを作って、壁に貼ってみました。

養蜂3ヵ村 巡回


(写真) カエルくん x 2
俺の部屋の床シートと同じ柄になったカエルたち。
彼らが部屋の虫をどんどん、食ってくれるのです。
ちなみに、ウォロフ語でカエルは「ンボック」と言います。

さて、日曜日から4日連続で村訪問です。
そのうち、これが普通になるんでしょうが、スロー
スターターであり、家に居るのが嫌いでもない
俺にとってはなかなか、ハイペースです。

今、疲れています。

月曜日午前はSantie Djiguimar村へ。
落下した養蜂箱を村人が、俺から防護服一式を借りて、自力で直した村です。
その防護服を返してもらいに行ったわけですが、養蜂をやっているEl Hadji氏が、

「最近、養蜂箱の隣の畑で作業を
 していると、刺される。俺が。移動したい。」

、と。
なるほど。
今から移動させる気満々だが、そこは、
「まず、設置場所を見つけてから運ぼう」、と提案。

そうこう話しているうちに、
「向こうの木の多い辺りに持って行くと、盗難の危険性がある」
ということになり、悩むセネガル人と日本人。

E氏
 「じゃぁ、ここだ!」


 「元のところより、畑に近いやん!あんた、もっと刺されるで!(笑)」

E氏
 「そうだな(笑)」

結局、移動はせず、しばらくは刺されながら
農作業をすることを我慢するということになりました。
アフリカミツバチは凶暴なので、巣や蜂に
危害を加えなくても、人を襲うのです。

人気のないところに設置して盗難を防ぐか、人気の
あるところにおいて刺されないようにするか。
なかなか解決策がなさそうですが、考えてみます。


養蜂箱の移動先を探している途中の地面。
ユーカリの成木から落ちた種から、自然に発芽したユーカリたち。
えーっと、隊員や森林局が必死になってユーカリ育苗・植林を
頑張ってますけど、勝手に生えているんですね、君たちは、ここで!


 「ユーカリは誰かに売っているの?」

E氏
 「欲しい人がいるなら、教えて欲しいぐらいだ。」


 「……。」

ちなみにこの村、アメリカの援助機関、USAIDのプロジェクトが
入っていて、足踏み式井戸が半年後にやってくるそうです。

午後はHamdallaye Thiam?ne村へ。
ここも、荒廃した養蜂箱を村人が自力できれいにして再設置してます。


(写真)Santie Djiguimar村で見せてもらった、セネガル式養蜂箱

村人のSakou Thiam氏と話しているうちに、今後、セネガル式
養蜂箱を森に追加設置しようということになりました。
俺がこれまで読んだ資料では、伝統的なやり方では採蜜のときに、
蜂を焼き殺しながらの作業になり、かなり破壊的であるとありました。
当然、蜂も、蜂の巣も、蜂蜜も再生するのが大変です。
が、Sakou氏が言うには、採蜜のときに煙を
かけるだけで、焼き殺さずにできる、と。

今度、Sakou氏がメディナサバに来たときに、大工を2人で
訪ねてセネ式養蜂箱作製の値段を聞いてみようと思います。

昨日、火曜日はNdiawara村へ。
配管工を連れて、2回目の修理見積もりです。
どうも、バルブ周辺の交換だけでいいと彼は言い、安い金額が出ました。
今度、その見積書を持って、住民組織の代表と話し合ってきます。

今日もNdiawara村へ。



あちゃー。

昨日、Ndiawaraに来ると、村人Iburahima Gueye氏が
「養蜂箱が強風で倒れた」と言っていたので、
今日、防護服を持って参上したわけです。

防護服を着て、炎天下、2人で汗だくになりながら修理しました。

箱は大きく傾いていましたが、中をのぞいてみると、
ご覧のとおり、蜂蜜がぎっしり詰まった蜂の巣が!
薄く蓋がしてありますが、これは満タンということです。
蜂蜜が少し、滴り落ちているのも見えるでしょうか。
まだ、巣は小さく、新しく建設中の部分もあり。
雨季が終わるまではまだしばらく放置です。

明日はニオロ市の森林局へ、会議に行ってきます。

活動再開


(写真)大家さんがくれた、フォンデという料理。
ミレットだろうか、雑穀の一種が入っているのは分かるけど、
何をどうやってこういう味になったのかは不明。
すごく、アフリカンな味がした。

ここしばらく、旅行しとったり、資料や本を読み漁ったりして
いたので、2週間となるバイクに乗って、村に行ってきました。

まずはSantie Djiguimar村へ。
俺が旅行に出る前日、この村の人がメディナ
サバの我が家に馬車でやって来て、

「この前の豪雨で養蜂箱が倒れた。自分たちで
 直したいから、防護服とかを貸して欲しい。」

ということで、防護服等一式を貸し出した。
それを今日、引き取りに行き、養蜂箱の
様子も見たかったので行ってみた。
が、養蜂をやっているErhaj氏は毎週日曜日に
ガンビアで開かれる定期市に出かけたらしく、不在。
なるほど、国外やから携帯もつながらんかったわけだ。

明日の朝、また来ることにして、メディナサバへ戻る。

次は、メディナサバ郡内の住民組織、
PENCのリーダー、Ousman氏を訪ねた。
が、これまた、畑作業に出かけてしまっていたようで、不在。

次は、じゃが芋を買いに、商店へ。
そしたら、俺がHamdallaye Thiam?ne村での養蜂を始める
きっかけをくれた、Goumbo氏がいつものように座っていた。
彼は店員でもないが、いつも、何をするでもなく、店の前にいる。
彼曰く、

「Thiam?neの養蜂箱2基のうち、1基が倒れた。俺が持っている
 防護服を着て、それを直す作業をしたんだが、箱を開けてみたら
 蜂はいるけど、巣が完全に荒れていた。ぼろぼろの巣は全部
 取り払って、設置しなおした。」

とのこと。

なるほど、明日、Santie Djiguimarで防護服を返して
もらったら、そのまま、Thiam?neの様子も見てこよう。

やっぱり、たまには箱の中を開けて、内検査をせないかんようですな。

それにしても、みんな、養蜂箱をきちんと、
自分の養蜂箱」として扱ってくれていて、うれしく思いました。
よく聞く話は、「住民と一緒になって立ち上げた活動なのに、何か少しでも
不具合があると、住民は何もせず、結局、隊員に任せっきり」というもの。

開発学的には、その活動のオーナーシップがどこにあるか、という問題。

Santie Djiguimarはこの前の採蜜で、量がほとんど
取れなかったし、Thiam?neはまだ設置したばかり。
おっさんたちが養蜂に「メリット」を実感できる
結果を出すためのサポートを続けたいと思いました。

そのまま、メディナサバ村内の配管工、Baabacar氏を訪ねた。
Ndiawara村の配水設備修理のための、前回の見積もり金額を
PENCのリーダー、Ousman氏に告げると、
「高すぎる。別の配管工にも見積もりをしてもらおう」、と。
商売的には、いわゆる、「あいみつ」というやつですな。
そのあいみつ依頼のためにBaabacar宅に行く途中に、前回の
見積もり主、Maatar氏にたまたま会って、「この前の見積もりの件、
村人やNGOは何か言ってたか?」と聞かれ、気まずかった。
Baabacar氏にアポを取り、明後日の朝、
Ndiawara村へ再び、行ってきます。

養蜂任地を見学

 

ニオロ県からほぼ真西、大西洋沿岸に程近いソコン市に行ってきました。

大西洋から内陸側へはサルーム・デルタという
入り江になっていて、マングローブが群生しています。
そんなこともあって、自然環境保全を含む各国の開発
援助プロジェクトがよく入っている地域でもあります。

そんなプロジェクトの影響もあり、この地域では養蜂をやっている村も
あって、ソコン在住の隊員の案内でそこを見学させてもらったわけです。

まず、上の写真はNdoumboundj(ンドゥンブンジ)村の養蜂場。
(撮影の後、ソコンの隊員と村人が蜂に襲われ、刺された。)
養蜂箱はセメントでできていて、一段。
蓋と、中の巣枠は木製。
巣枠はラングストロース式(以下、ラ式)。

外国の団体がお金を出して行われた研修で、この養蜂箱の
作り方を学んだ村人が作って設置し、使っているようです。
しかし、セメントだと中に湿気がこもったり、木製よりは
作りにくく、修理もしにくい気がしますが。
なぜ、セメントなんだろうか。

近くの村人5人でグループを作って、蜂蜜の売上金の
一部を資材の修繕などに充てているとのことです。
そうそう、俺もそういう仕組みをつくれたらいいなと思っているところですよ。

しかし、メディナサバ郡内での養蜂と、ソコン周辺での養蜂には大きな違いが。
それは、売価。
Ndoumboundi村では1kg(≒700ml)を3,000フランで売っているとのこと。
メディナサバでは1Lで1,500~1,750フラン。約2倍の差があります。

Ndoumboundjの養蜂をしている男性は「高品質だから高く売れる」と
言ってはいるものの、遠心分離機はないので、手搾り
しているはずなので不純物もそれなりに入るはず。
マングローブ蜜だけ、アカシア蜜だけ、という採蜜も
していないので、いろんな蜜が混ざっています。
容器も瓶やペットボトルを再利用
したものなので、さほど見栄えもしません。

なぜ、高く売れるのか。
それは、ここが観光地だから。

近くのToubakouta村は落ち着いた村ですが、そこには立派な
ホテルや、こじゃれたレストラン、土産物屋などがあり、観光客は
マングローブ・クルージングや釣りを楽しむことなどができます。
で、ここを訪れる国内外の観光客が買っていくようです。

聞いた限りでは、地元の村人が行くような市場では高く売れ
ないので、そっちへは出さずに、都会であるソコン市の
お店で売ったり、村の自宅で売っているようです。

俺が前任者から引き継いだ養蜂箱はラ式と、ケニアン・トップ・バー
・ハイブ式(KTBH式)で、俺も、前任者も実際に採蜜して分かったことは、
遠心分離機を使わず、蜂の巣をごっそり取る方法で採蜜するのならば、
構造が単純なKTBH式の方が作業が楽ということ。
巣枠を作るのも楽。
木の棒を並べるだけなので、壊れることもほとんどありません。
(今度、写真を撮ってみます。)
このKTBHをNdoumboundjの村人に紹介すると、
興味津々の様子で、今度、作ってみたいとのことなので、
あとはソコン在住の隊員にお任せしました。

次に訪れたのはSangako(サンガコ)村。
ここは日本のJICAのプロジェクトが大々的に養蜂を支援した村です。

これは、ステンレス製の高価そうな蜂蜜貯蔵タンクで、5基ぐらいありました。
下のが、プラスチック製の容器で、既に蜂蜜が入って、売れる状態です。
この容器も援助で支給されたもので、これがなくなったらやっぱり、
空きペットボトルとかで売るしかないんだろうなと思いましたが、
この容器、超大量に支給されていて、あと数年は持ちそうです。

これは、手回し式の遠心分離機で、2基あります。
入れてあるのがラ式の巣枠で、実際には、蜂蜜の詰まった巣の入った
ものをこうやってセットして回すと、蜂の巣を壊すことなく、また、
蜂の子などをつぶして不純物が入ってしまうことなく、採蜜できます。

遠心分離機が壊れたらどうするのかと村人に聞くと、「今は1基
しか使っていないから、それが壊れたらもう1基の方を使う」とのこと。
2基目がつぶれたら、終わりかなと思いました。

Sangako村の養蜂グループは50人ぐらい登録されているらしい
ですが、実際にそんなにも多勢が養蜂に関わっているかは謎です。
一連の機材は、同じく、プロジェクトで支給された建物の中に
保管されていますが、管理されている感じはあまりしませんでした。

Sangako村の蜂蜜は売り先に、蜂蜜業者が入っていました。

蜂の巣を壊さずに採蜜できることや、そもそも、蜜源となる樹木が多い
ということもあって、巣箱1基あたり、年3回も採蜜できるようです。
メディナサバでは年1~2回が限界でしょう。

自然条件、設備環境共に異なる養蜂場を見学できたし、
養蜂をしている隊員と意見、情報、データ、経験を交換
できて、かなり有意義な任地訪問でした。

これからは、
1.資材等を他の村人と管理、共有、修繕するための組織化
2.少しでも採蜜の回数を上げれるように、
  字よりも、写真や絵を多く使った教材作り
をやってみたいと思います。

1.は今回、見学した村を参考に。
2.は蜂と戦いながら、写真撮影に挑もうと思います。
どれが切り取っていい巣か、巣のどのあたりにナイフを入れるべきか、
どれが残しておかなければいけない女王蜂か、防護服はどう着れば
蜂が入ってきにくいか、どんなところに養蜂箱を設置すれば作業が
しやすいかなど、理屈よりも、作業のいろはが伝わる教材がいいな、と。

資料読みと国内旅行

ここ1週間ほど、メディナサバを離れておりました。

メディナサバ村→首都ダカール市→ティエス市→チャージャイ市
→ソコン市→州都カオラック市→メディナサバ村というルート。


(写真)
ダカールからティエスへは電車で行きました。
定刻より1時間早い発車で、びびった。


(写真)
カオラックのターミナルで新聞売りから地元を買ってみた。
警察を風刺する漫画ですね。

メインはJICAの担当調整員の方が任期を
終え、帰国されるということでその送別会の出席。
それ以外にも、肝炎予防のためのワクチン接種や、銀行でお金を
下ろしたり、ネット代を払ったり、村では手に入らない生活用品を
買ったり、研修期間中のホームステイ先を訪ねたり、養蜂をしている
先輩隊員の活動村を見学したりと、ミッション盛りだくさんでした。
無事、ミッション・コンプリートです。

養蜂の活動村見学についてはまた別件として日記を書こう。

この国内旅行の前はネクスト・マーケットのほかに、
メディナサバ村を含むニオロ県で過去に行われていた、
JICAのプロジェクトの資料をPCで読みあさっておりました。

俺の配属先はニオロ県森林局。
主な事業の一つが植林であり、JICAのプロジェクト
でも植林が主な活動の一つとなっていました。
現在、森林局に配属されている隊員たちも、各自の
活動に加え、森林局の植林事業をサポートしています。
文書では「砂漠化防止」のような文句も謳われていますが、
実際には樹種はユーカリで、その目的は材木としての販売です。

その苗木作りから定植、伐採、販売、萌芽更新を森林局のサポートの
もと、村人たちがいかにうまいことやっていけるか、というわけですが、
「うまくいっている!」とは胸を張っては言えないのが現状です。
うまくいっていない、とまでは言わないにしても、
少なくとも、「もっとうまい方法がある」とは思います。
森林局の局長もそれを探っているところです。

というわけで、養蜂は前任者から引継いだ、俺の自由な活動と
いうことで今後ももちろん継続しつつ、やはりこのニオロ県森林局
配属の隊員として、一連の植林事業の改善に
これから、足を踏み入れていこうと思います。

ただ、森林局と村人の間に立つだけでなく、植林に関わっている
いろんなアクター、たとえば、地元NGOのSymbioseや、米国の
ボランティア「peace corps」や、可能であれば、材木の買い手で
ある仲買人とも接触し、植林事業の全体像を把握してみたいです。

その出だしとして、折角、プロジェクト期間中や、終了後の調査・報告が
蓄積されているので、まずはその分析から始めたというわけですよ。

ネクスト・マーケット

 

協力隊の訓練期間中に、同期隊員の本棚で見つけて知った本。
日本で買って、セネガルに持ってきました。

セネガルで4ヶ月ほど生活して気になるのは、お金のこと。
村人たちはどうやって収入を得、管理し、消費しているのだろうか。

ここ、メディナサバ村は郡庁所在地であり、商店もあり、
市場もあり、電気や水道などのインフラもある。
仕立て屋、金属加工屋、公務員など、収入も
それなりに安定した人たちも少なからずいる。

が、郡内の他の村では状況が異なる。
しかし、そういった村ですら、携帯電話、洗濯洗剤、
化学調味料などを普通に見かける。
セネガルに俺らがJICAの青年海外協力隊として派遣されるように、
「貧困層=開発援助の対象」という見方がある一方で、
彼らはネクスト・マーケット、つまり、「貧困層=次なる市場」でも
あることを、身をもって感じる。

頭の中でネクスト・マーケットというキーワードが悶々としていた
ので、雨季で外出したくない今日この頃、読んでみることにした。

今日の日記は、その読書感想文です。

1.今、俺はネクスト・マーケットの中に居る!

携帯電話は毎月払わなければならない基本料金は存在せず、
お金があるときにだけ小額から購入できるプリペイドカード方式。

洗剤や調味料は日本で売られているようなサイズではなくて、
1回から数回で使い切ってしまうような小袋単位で販売されている。

本書に書かれているような市場に、まさに、自分が
生活しているので、「そう、そう!」と共感する点が多い。

2.ビジネスで解決できる貧困問題ある。

表紙に「貧困問題はビジネスで解決できる!」と書いてある。
さて、どうだろう。
さも、「貧困層が顧客になる⇒貧困問題解決」と
錯覚しそうになるけど、そうではないでしょう。

あくまで、本書は開発寄りというよりは、ビジネス寄りの
本であって、読んでいても、消費者(貧困層)よりは
企業を主役として書かれている感じがした。
だから、貧困層にとっての貧困云々の内容よりは、
ネクスト・マーケットをターゲットとした企業に
とっての経営手法の内容の方が充実している。

3.ネクスト・マーケットを生み出せる国、生み出せる村の条件

著者がインド人ということもあってか、成功例のほとんどがインド。
あとはブラジルとかメキシコとか。
途上国ではあるけど、どちらかといえば、
成功しつつある方の途上国よね、と思った。
セネガルもそっちの部類に入るのだろう。

あと、対象としている農村も、停電が多いものの、
基本的には電気のインフラがあるとか、ある程度の
人口があるとか、村人の識字率があるとか、そういった
条件をクリアーしている村である場合が多い。
セネガルでいえば、ここ、メディナサバ村ぐらい恵まれた環境かな。

本書で紹介されているように、貧困層が家電製品、住宅建設、
義足、眼の手術、インターネットアクセスといった製品、サービス、
情報を得られることによって、人々の暮らしが
改善していく可能性があることはすばらしいと思う。
でも、そのネクスト・マーケットの中に
入れない最貧国や、最貧困層もまだまだ多い。

4.大企業にとってのネクスト・マーケット

本書で紹介される企業はたいてい、大手多国籍企業だったり、
インド国内で規模2位の銀行だったりと、この本でビジネス界が
強みとする、資本を持った企業となっている。
本書ではそういった企業と、彼らの消費者、もしくは、パートナーと
なった元貧困者がwin-winの関係であるとしている。
しかし、loser(敗者)はどこにもいないのだろうか。

これは著者も認めているが、大企業がインターネットで
農作物の市場価格を農民に直接、知らせるシステムを
築いたことで、それまで、農民から農作物を安く買い
叩いてきたとされる地元の仲買人の収入は激減した。
おもしろくないと思っている仲買人たちが農民や、この企業関係者に
対して良からぬ行為に打って出る危険性も十分にありえるだろう。

また、石鹸を使った手洗い習慣の普及によって下痢症の
予防と、自社製石鹸の販売増を目標とする大手石鹸メーカー。
このメーカーは国際機関や、政府ともタイアップして手洗い励行
キャンペーンを行っていて、どうやら、セネガルでもやっているらしい。

一方、メディナサバ近くの村では日本やアメリカのボランティアが
村の女性たちの収入向上活動の一環として、
廃油手作り石鹸の講習をやってきている。
聞いた話では、アメリカのボランティアが去った今でも、
女性たちは石鹸を作り、販売し続けているという。
もし彼女たちの村の近くで、「○○社の石鹸で手をきれいに
洗って、下痢症をなくそう!」なんてやられたら、どうだろう。
仮に、それで石鹸の普及率が上がり、下痢症が減ったとしても。

なんてことを考えた。

おいしい国境線

 今日は朝から昼過ぎぐらいまで、For?t Class?e de Ngay?ne
(ンガイェン森林保護区)へ植林をしに行ってきました。
日記でもよく養蜂について書いていますが、実は、
俺の配属先は森林局で、今日はその森林局の車で
村の技官、Dioufたちと一緒に植林をしてきたわけです。

途中、森林保護区の最寄の村、
Passi Ngay?ne村で村人を大勢積み込みます。
本日の植林隊の皆さんです。
ほとんどが若い男性で、ほかに、子どもや女性も数人いました。

植林する地点に到着。

植林の方法はこうです。

まず、植える苗木はニオロ市の森林局の苗畑で作られたものを
車で持って来ているので、それを植える地点あたりまで運びます。

このように、植林のための車が、森林保護区の木々を
なぎ倒していきますが、すぐに再生するでしょう。
のー・ぷろぶれむ。

次に、4mごとに印をつけたロープを
まっすぐ張り、印の地点を掘る。
そして、植える。
苗木はビニール製の育苗ポットに入っていて、それから
出して植えるのですが、ポットはその辺でポイ捨てします。

今日、植林したのは400本のカシューの木。
カシューナッツという聞いたことがあるでしょうか?
その木です。
ナッツだけでなく、甘酸っぱい実も取れ、どちらもおいしいです。

わか「どうしてここにカシューをこうやって植林するのか?」

技官「これでセネガルとガンビアの国境線が分かるように
   しているんだ。それに、カシューはおいしい実がなるだろ。」

このカシューの苗木400本×4m間隔は国境線だったのか!!
なんともきわどい仕事だ。
確かに、この森林保護区はガンビアと接している。
それに、森林局は軍の指示系統にあるとも聞いたことがある。
技官の制服も軍人っぽいし、俺の上司の肩書きも「司令官」だ。

しかし、厳密には、この苗木が国境線ではないみたい。
「カシューの線があるでしょ。そろそろ、国境が近いですよ。
引き返してくださいね。」という緩衝地帯みたいなものかもしれない。

本当の国境は1kmぐらい離れたところにある。

この丸い石が国境らしい。
右の人が技官。

ちなみに、俺はセネガル側から撮っています。
向こうへは行けないことになっていますので。。。

植林を終え、村人たちとPassi Ngay?ne村に戻ってきた。
技官が今日の作業に参加した村人たちの名前を
書き取り、他にも何か、書類を書いていた。
それから、今日植えた苗木の今後の育て方などについて、
村のしっかりした若い男性たちに技術指導をしていた。

今日は疲れたので、メディナサバに戻って、すぐに帰宅した。
また後日、今日の植林について技官に質問に行こうと思う。

住民組織PENC(ペンチ)

 昨日の朝から昼過ぎまでは、Nioro市内在住の
隊員2人と一緒に、Kayemor村に行ってきた。

メディナサバ郡内は3つのcommunaut? rurale
(村落共同体=郡と村の間の行政区分)に
分かれていて、
Kayemorはそのうちの1つの中心となる村。

人口は約2,500人で、電気も水道も整備され、

モスクはもちろん、診療所や学校もちゃんとある。

このKayemorに来たのは、先日、地元NGO、Symbioseの事務所で
Kode Ndiayeという
スタッフと話していて、
「Kayemorで稲作をやっているから、見に来るといい」
ということになって、それで、来てみた。

同じくSymbioseで農業技術者をしているMathioye Tallと、

Kodeとが2つの田んぼを案内してくれた。

どちらも日本のような灌漑設備があるわけではなく、陸稲(おかぼ)。

片方はSahel108、もう片方はNerica1という品種のコメだ。

NericaはJICAもやたらお奨め中のコメで、New Rice for Africaの略。

Sahelも名前からして、サハラ以南アフリカ向けのコメっぽい。


(写真)
左半分が落花生畑、右半分が稲作。

KayemorのNericaの田んぼの面白いところは、今年の田んぼの
半分は去年、
メイズ(とうもろこし)を栽培していて、もう半分は去年、
落花生を栽培していた
ところ、というふうに輪作をしている点。

元メイズエリアのコメと、元落花生エリアの
コメとで生育の比較をしているという。

Kayemorで稲作が始まったのも割りと最近らしく、
農業技術者の
助言を受けながら、試行錯誤をしているようだ。

同行した同期隊員(野菜栽培)曰く、
「雨がもっと多くなれば病気が増えるかも
しれないが、今の段階では
順調。それなりの収穫があるのではないか。」とのこと。


田んぼの視察のあと、住民組織PENCの事務所に案内された。

各村々の諸問題を話し合う組織で、このPENCが先述のNGO、
Symbioseをはじめ、
国内外のNGOや国連機関とコネクションを
持って、村への問題解決策を出しているようだ。

事務所ではスタッフたちがミーティングをしていた。

そこには薬草プロジェクトのNGO、Enda Santeのリーダーもいた。

彼には先日のNdiawaraでの配水設備
修理見積もりの件で報告をしておいた。


事務所の奥には銀行があった。

どうやら、村人や村の野菜組合などを対象とした

マイクロ・クレジット(小額投融資)の窓口のようだ。

また、敷地内には農業資料を保管する図書館や、

肥料などを販売する商店も併設されていた。

すごいよ、PENC。

PENC事務所を後にし、以前、この村で一緒に
採蜜をしたMoustafa Ndiayeを訪ねた。

養蜂の現状や、今後の予定などについて話し合った。

20kmぐらい離れた遠い村で、往復のバイク運転で

疲れはしたが、とても有意義な村訪問となった。

帰り道、森林局の技官、Dioufと会った。

週明けの月曜日に、彼の管轄区域内の
森林保護区へ植林に行くという情報を得た。

車が出るらしいので、それに一緒に乗せて
もらい、作業をしに行くことになった。

楽しみやな~。

蜂蜜はそう、甘くはない

 おとつい、昨日、今日と、Santie Djiguimarという、

メディナサバから6kmぐらい離れた村へ行ってきました。

おとついは顔を出して挨拶程度。

前任者が仕掛けた養蜂箱を見ながら、

「たぶん、もう蜂蜜が採れるね。明日、防護服や道具を持ってくるよ。」と話した。

昨日、その蜂蜜採り。

前回、Ndiawara村で夜に採蜜をして失敗した経験と、

元養蜂隊員からのアドバイスで、今回は日中に採蜜をした。

夜のほうが蜂がおとなしいなんてことはなく、
また、暗くないほうが断然、作業がしやすい。

これまた前回は、何の打ち合わせもなく作業を始めてしまい、
箱内の巣を
全部、取り去ってしまったという反省がある。
 → 次回、蜂蜜はあるだろうか…

それで今回、次の採蜜のこと、巣の維持のことなどを考えて、
どういう部分を切り取り、
どのぐらい巣に残しておくかなど、
一緒に作業をしたおっちゃん、Arajと打ち合わせを行った。

その打ち合わせのために、事前に英語とフランス語で
書かれた養蜂の資料を
再度読み込んで予習し、
いくつかの単語はウォロフ語でも調べておいた。


(写真)
防護服姿のAraj氏

採蜜も今回で3回目となり、蜂の襲撃にも
落ち着いて対応できるようになってきた。

それでも、今回も頭を2箇所、刺されたわけですが。

養蜂箱内はまだ、蜂の巣でいっぱいにはなっていなかった。

全部見たわけではないけど、おそらく、3分の2ぐらい。

で、その一部を収穫した。

今日、取った部分から蜂蜜を搾り取る作業をしに行ってきた。

残念ながら、取った巣にはあまり蜂蜜が入っていなかった。

ほとんどが幼虫の部屋だった。

これは失敗だ。

蜂蜜が採れなかっただけでなく、幼虫を取ってしまったという

ことは、今後の蜂の労働力を取ってしまったということ。

俺がまだ、どの巣が幼虫保育用、どの巣が花粉貯蔵用、

どの巣が蜂蜜貯蔵用というのを見分けれていなかった。

次回は見極めれると思う。

蜂蜜がたくさん取れたら、ちょっと分けてもらって、
大家さんやカウンターパートに
おすそ分けしようと
思っとったけど、少なかったから全部、村に置いてきた。

Arajは採れた蜂蜜を売るつもりだったけど、量が

少ないから、みんなで食べると言っていた。

申し訳ない。

Amul problem(ノー・プロブレム)と言ってくれたけど。


(写真)
昨日、メディナサバに帰ったとき、虹がかかっていました。

配水設備修理見積もり

 今日はNdiawara村へ行ってきた。
配管工のMataar Niass氏と一緒に。

前々から、Ndiawara村の配水設備が壊れていて、
それを何とかしたいという要望を、地元住民組織であるPENC
(ペンチ)のメディナサバ郡代表を通じて、聞いていた。
そう、こうやって、村の問題はPENCが吸い上げ、
その解決策をPENC内や、関わりのあるNGOと一緒に
探っていく、という仕組みがここにはある。

で、今日、その状況を見に行ってきた。


井戸でくみ上げた水を、右側の金属製の箱に入れる。
そうすると、その水が配管を通って、畑の端に
ある貯水槽に水が入っていく、という仕組み。
今はこれが壊れているから、井戸で汲んだ水を
たらいに入れ、それを村の女性たちが頭に載せて、
畑の端まで運び、水遣りをしているという状況だ。


左の作業着の男性が配管工Mataar氏。
ただ歩いているように見えるが、井戸から貯水槽
までの距離=配管の長さを歩測している。
余談だが、俺はオリエンテーリングで使われる技術、歩測は苦手だった。
途中で、何歩目だか分からなくなるから。

しばらくして、必要な資材などをMataar氏が
計算し、紙に見積書として手書きし始めた。
きちんと、内訳、単価も書かれており、
彼の名前、連絡先も書かれている。
メモ用紙に書かれた手書きではあるが、ちゃんとした見積書だ。

で、出てきた金額がけっこうな額でして。
日本円で3万円ぐらい、今の我が家の家賃の2ヵ月分以上もする。

さて、これ、Ndiawara村の人たちはどうするだろうか。
村人全額負担は不可能に近い。
最寄りの行政である、communaut? rurale
(村落共同体)に予算申請するか。
資金力のある地元NGOに支援を要請するか。
どう出るか。


とりあえず、見積もりは終わり、次はこの村にある苗畑をチェック。
今年のユーカリの苗は514株、果樹の苗は35株のようだ。

いつもなら、「まぁ、昼飯でも食っていけ」と
なるのだが、どうも様子が違う。
女性たちが何人も、泣いている。
Mataar氏が聞くと、どうも、村の男性が亡くなったという。

今日は用事だけ済ませて、帰宅した。