1,000km

 
バイクの走行距離が、1,000kmを越えました。

という記念。

昨日、おとついと、メディナサバから出てません
でしたが、今日は朝から夕方まで、村を回ってました。

ニオロ市内の隊員(村落開発普及員&野菜栽培)と、以前、ブログでも
書いたやり手の普及員、Amat Seck氏の、計4人で村へ行く予定だった…

のですが、ニオロ市から南へ向かうときに
渡る、バオボロン川がここ数日の豪雨で増水。
そこを越える途中に、隊員のバイクは
あえなく、走行不能、手で押して引き返すことに。
しばらく経って、走れるようにはなったみたいですが、ニオロの
隊員は来れず、俺とAmat氏の2人で村へ行くことになりました。

まず向かったのは、Ndiakh?ne村。
JICAのプロジェクト、PRODEFIの対象村にもなっていた村です。
野菜栽培、炭焼き、マイクロクレジット、植林などの研修が行われ、
野菜栽培とその後の資金管理の分野で成功した村と聞いています。
また、プロジェクト終了後、この村に導入された
地域苗畑でも、うまく生長したユーカリなどの苗、
今年は600本を販売することに成功しています。

やり手の村ですね。

俺がこの村に来たのは、PROGERTという、国連開発計画と
世界環境基金が行っているプロジェクトの中で、養蜂研修が
この村でも開かれた、という情報をつかんだからです。

Projet de Gestion et de Restauration
des terres d?grad?es du Bassin Arachidier
落花生盆地土壌劣化回復・管理プロジェクト


行ってみると、ありました。


セメント式養蜂箱が3つ。
絶対刺されてはいかんと、かなり遠くから撮りました。

あー、もう、蜂には近づけんのだなと思うと、悲しくなりました。

養蜂をやっている村人と話したところ、
彼はきちんと、技術的な知識を持っていました。
ただ、PROGERTから供与されたゴム手袋が破れて
しまっていて、防護服も一着しかないので、雨季後の
採蜜のときは、俺の持っているのを貸そうと思います。
本当は、一緒に採蜜をしたいのですが。。。
また、来ます。

次に、この村の南隣、Yongo村へ向かいました。
この村もPRODEFIの対象村となっていた村です。
今は、アメリカのPeace Corps隊員が入っていて、彼女が植林を
していると聞いていたので、一度、その活動を見たいと思っていました。

Peace Corpsは日本の我々、青年海外協力隊の
見本となったような、アメリカの国際協力ボランティアで、
セネガル国内には200人ぐらいいるって言っていたかな。
俺ら、日本の隊員はウォロフ語の訓練が2週間
なのに対して、彼らは3ヶ月間、ウォロフ語の
訓練があるので、みんな、ぺらぺらです。
また、俺らは僻地とは言え、一応、電気、水道もある
村に住むのに対して、彼らは電気も水道もない、
舗装道路から更に奥に入った村に住んでいます。

Yongoの隊員はユーカリ、カシュー、
マンゴーなどを植林していました。
育苗ポットや、植える種子の調達方法が日本の
隊員とは違って、割と楽に手に入れているようです。

この村で話していて、養蜂を隣のNdiakh?neでもやっているし、
やってみたいという話が出てきて、Ndiakh?neの村人を
講師として、養蜂研修会が開くことになるかもしれません。
そうなれば、前任者や俺が養蜂を始めた
村の村人にも声をかけてみようと思います。
彼らからも養蜂研修を望む声が出ていたので。


セネガル人は毎日飲んでいるお茶、アタイヤ。
Yongoのアタイヤグラスは、Peace Corps隊員の
お母さんがセネガルに来たときに持ってきた
お土産、New Yorkのショットグラスです。
彼女はNew Yorkerです。
そして、写真左下の男子の顔がガキんちょっぽくていいです。

ぼくは元気です

前回の日記はおどろおどろしい、アナフィラキシーショックの話。
それまでも、養蜂、植林、稲作、留学など、
お堅い話が続いたので、ここいらで息抜き。

ぼくは元気です。

昨日は同居隊員と一緒に、ちらし寿司を作りました。
日本から来たある大学の先生が、ちらし寿司のもとをくれたので。
味付けをされたお酢と、レンコンや野菜などの具が入ってます。
これに、ダカールで買ってきてもらった、干ししいたけ、
干しえびと、前任者がくれたきざみ高野豆腐を追加投入。

味噌汁のもともあるので、味噌汁も作りました。
味噌汁のもとはいつも、調味料として
使っていたので、味噌汁として飲むのは久々です。

うまい

俺も、同居隊員も料理が好きで、いつも、自分たちで料理して、うまい
うまいと食っているんですが、ちらし寿司は、本当にうまかったです。

村に行って何かしたり、キーパーソンと会って話したり、何か
考えたときにブログを書いているので、ブログだけを読むと、
さも、活動をばりばりやっているように見えるかも
しれませんが、割と、家にいる時間も長いです。

最近だと、半年弱、養蜂をやってきた中で得た
知識や経験を、ここでひとつ、書きまとめてみようと、
養蜂マニュアルなるものを作り始めました。

また、月末なので、配属先である森林局に提出
する、9月度の活動報告書(フランス語)を書いたり。


防護服の破れを、こうやって、縫ったりもしています。
網が粗悪で、すぐに破れます。
これを作業前に確認していれば、
あのショックも避けられたかもしれません。
猛省です。

洗濯がけっこう、時間がかかります。
洗濯機なんかは当然、ないので、たらいに水を汲んで、
洗濯板でごしごし洗い、手でぐりぐり絞ります。
干して、ぼちぼち乾いたかな、という
夕方に、雨がよく降るので、油断なりません。

買い物も、夕方に行くことが多いの
ですが、雨に降られることがしばしば。
買い物に行くと、たいてい、いつも顔を合わす
村人たちが、特に何をするでなく、世間話をしています。
俺もそれに混じって、情報交換をしたり。
で、そこから自分の活動につながる情報や、人脈が
生まれてきたするので、疎かにはできません。
村人と話すために、メディナサバ村内では
なるべく、バイクには乗らずに、歩くようにしています。


以前、載せた写真ですが、このカエル
たちがけっこうな量の糞尿をたれやがります。
糞と尿を一緒に出すらしく、水っぽく、踏むと最悪。
しかも、くさいです。

おわり。

救急車に乗りました

救急車に乗りました。
日本でも乗ったことないのに。

事件は9月16日木曜日のこと。
先日、Kayemor村で見た、転倒した養蜂箱を直しに行ったわけです。

村のMoustafa氏と、まずは新設置場所に足場を組みます。
旧設置場所も新設置場所も、村の共同畑の中ですが、新設置場所の
ほうが農作業をするところから若干離れていて、また、少し高台に
なっているので雨季の雨で浸水する心配も少ないです。
また、気のすぐそばなので、直射日光や強風もある程度避けれます。

足場を設置後、転倒した養蜂箱を持ち運びます。
養蜂箱は見るからに、大量の蜂で覆われていました。
中には蜂蜜もぎっしり詰まっているようで、かなり重たかったです。

いつも作業をしていると、防護服の隙間から入ってくる
数匹の蜂には刺されるんですが、今回は、

・そもそもの蜂の数が多かった
・防護服に小さな穴が開いていた
・俺が逃げる方向をよく分かっていなかった

という不運が重なり、長時間走って逃げ回っても、蜂の猛攻を
振り切ることができず、防護服が暑くて汗は滝のように流れ、
体力も消耗し、その間、どんどん蜂に刺され…

刺された数は頭、顔、首などを中心に20箇所以上と思います。

蜂の攻撃が収まって、村に戻りました。
日も暮れてきて、雨も降り始めてきたので、
Moustafa家で一泊させてもらうことに。
どうも、尻から足にかけてが痒いなと思い、水浴びの
ときに見てみると、その辺りがジンマシンだらけ。
これはいつもとは違うと思い、JICAの
健康管理員に電話相談しました。

その電話を切った直後ぐらい、今度は
吐き気がしてトイレに駆け込み、嘔吐。
ジンマシンだけならまだしも、嘔吐は「やばいな」と思いました。

Moustafaのベッドに寝かせてもらい、一旦、落ち着かせ、着替えや、
健康管理員への電話のために何度か立ち上がったものの、一人で
立てるのが大変で、家族に脇を抱えられて歩くような状態でした。

結局、25kmぐらい離れたニオロ市在住の同期隊員に
頼んで、ニオロ市の病院から救急車を出してもらうことに。

その救急車を待っている間も、呼吸に異常が見られ、手足もしびれ…。
前にネットで調べたアナフィラキシー・ショックには、この
「呼吸の異常」が書いてあって、死の危険性もあるとあったので、
さすがに、怖いなと思いながら、救急車を待ちました。

救急車が着いたときにはピークは超えていたものの、
病院に着いてから撮った、患部はこんな感じです。

そして、病床での私。


顔がむくんでます。
シャツとジャージはMoustafaに借りました。

病院では注射、点滴を受け、入院。

翌朝、健康管理員の指示でダカールに
上京して、皮膚科の診察を受けました。
尻にエピペンと思われる注射を打たれ、
抗アレルギー剤、クリームを処方されました。

その後、順調に腫れも引き、無事、メディナサバに戻ってまいりました。


メディナサバに戻る途中に撮った写真。
この前はぎりぎり冠水してなかったバオボロン川を
渡る道路は見事、冠水しております。


ちなみに、ダカールではウニを食べました。
うまい。

すしも食いました。

今までは「痛いなー」程度だった蜂刺しですが、今回、明らかに
ショック症状が出て、体内に蜂毒抗体ができてしまったので、次回、
1箇所でも刺されると、体が過敏に反応し、今回以上に強い
アレルギー症状が出る恐れ、死ぬ恐れがあるそうです。
というわけで、養蜂作業禁止をJICA事務所から言い渡されました。
やむを得ません。
今後は、作業には加わらず、道具類の貸し出し、共同管理、
改良や、養蜂研修の開催といった面で引き続き、
村での養蜂をサポートしていこうと思います。

植林の話


(写真)雨季のバオボロン川
川を渡る道路が浸水しつつあります。
川岸に見えるのがユーカリの植林地帯。

ニオロ市内の先輩隊員たちと植林について話をしました。

ユーカリ材の販売価格が安すぎること以前に、ユーカリ植林を
している村々の中で、国道沿いか、国道から離れているかで
その有利性にかなり差があるという問題があります。
商人のトラックは、転倒の恐れのある田舎道を走りたがらず、
国道から離れている村の村人は馬車などに伐採木を積んで、
トラックの待つ国道まで運ばねばなりません。
その途中に木が傷んだりもするようです。
国道からの距離がかなりある場合は、馬車での輸送も不可能、
つまり、売ることすらできない、というわけです。

そういう村ではユーカリ植林をしても、村人はなんも裨益しないのか。

そうでもありません。
現金収入を得るには、ユーカリを伐採して細かく
切り、木炭にして、市場で売ることが可能です。
木炭は伐採木よりも小さく、軽いため、ある程度
離れた市場まで運んで行くことができます。
また、ユーカリ一本当たりで得られる収益は、
木材として商人に売るよりも大きいようです。
売って現金を手に入れるだけでなく、
炭は当然、村の中でも使われています。
炭を自給していない村は、お金を出して炭を市場で買ってきている
はずなので、その分の出費を減らすことにも一役買うことになります。
問題は、炭にする作業にかなりの労力と時間がかかるのと、
炭焼きをするには森林局の許可を得る必要があります。
炭焼きについては俺はノーマークだったので、
これから炭焼きについても探ってみようと思います。

木材としての販売、炭焼き以外に、経済的にはなかなか
効果が計れないものの、防風林、木陰、境界線、
さらに、養蜂の蜜源としての役割もあります。
野菜畑の中に木を植える、アグロフォレストリーというのがあり、畑の
中に木陰を作ることで、地表の乾燥を防ぐという効果もあるようです。

俺らの配属先である森林局は、果樹植林も支援しています。
果樹は果物がなるので、それを売って現金収入を
得ることもできますし、村で食べるのも良しです。
ユーカリ木材が安値であろうと、売れているのは
セネガル国内の都市部での建設ラッシュがあるからです。
ラッシュが終われば、その需要も落ちるはずです。
それを考えれば、ユーカリだけに集中して植林するのも考え物。

苗木はニオロ市の森林局が村人に配っている(果樹は500cfaで販売)
のですが、遠方の村人はそこから大量に持って帰ることが難しい。。。
ということで、地域苗畑というのを8ヶ村につくり、苗木が
欲しい村人は最寄の地域苗畑から入手することが可能になっています。
しかし、この地域苗畑もうまく生育しているところと、
そうでないところがあったり、お金の問題も
あったりと、改善の余地はありまくりです。

養蜂村訪問

日曜日にニオロ市内の隊員宅で、カオラック州同期会が開かれました。
おいしいお好み焼き、ヨーグルト、お酒、チーズケーキを食べ、満足。

この同期会に合わせて、ニオロ市の西、プロハン村
周辺で養蜂をしている村々を訪問しました。
そのうち、メインとしていたのがKeur War村。
JICAのプロジェクトの一部としてこの村で行われた養蜂
研修が、俺の前任隊員が養蜂を始めるきっかけとなっています。


Keur War村にあった養蜂箱はセメント製で、先月末に
訪れたNdoumboundj村で見たものと同じタイプでした。
セメント製養蜂箱のメリットを村人に聞いてみると、

・木製養蜂箱に比べて安く製作できる
・重いため風で転倒しない
・重いため盗難に遭わない
 (しかし、別の村のセメント製養蜂箱は、
 その中を破壊されたことがあった)
・蜂の出入り口が箱の上部にあり、箱も
 セメント製なので浸水の恐れが少ない
 (木製養蜂箱の出入り口は箱の下部にある
 ので、低いところに置くと、そこから浸水する)

デメリットはずばり、重いこと。
運びづらい。
木製であれば、木工職人が居る村で製作してもらって、
それを設置する村へ運べばいいけど、セメント製の
場合は普通、設置する村で製作しないと運ぶのが大変。
また、一度設置して、何らかの不具合があって移動するというのも大変。

しかし、メリットがある以上、メディナサバ
周辺の村への導入も検討したいと思います。


K.War村の後、通りかかった村では伝統的養蜂箱を見せてもらいました。
ここは防護服もなく、村人が蜂に刺され
ながらも蜂蜜を採っているとのこと。
大したものです。

さらに、Daga Albouri村へと進み、ここでは木製二段
ラングストロース式養蜂箱が何基か、畑の木に設置されていました。
K.WarもDaga Albouriも、養蜂に必要な道具はプロジェクトから
供与されていて十分にあり、俺の活動している村々のように、作業を
するたびに道具を持っていって使いまわすということはないようです。

今回の養蜂村訪問で得たことは、セメント製養蜂箱の
検討ともう一つ、養蜂研修を受けて、養蜂を続けている
Baabacar Diop氏と知り合えたことです。
俺の活動している村では養蜂の知識や経験がまだ
あまりなく、養蜂研修を希望している村人もいます。
俺が調整役となって、Baabacarをメディナサバ方面に来てもらい、
彼に養蜂研修の講師をしてもらうということが可能かもしれません。

クールダウン

最近、日記が自分の備忘録のようになってきた気がしますが、
それだけ、日々、考えさせられることが多い、ということにして続けます。

昨日の夕方はKohel村へ行ってきました。
同居隊員とは行ったことがあるのですが、1人で行くのは今回が初めて。
ここに来た目的は、以前、同居隊員が

・Kohelでも養蜂をやっていたことがあるらしい
・村人が植林をするために森林官を訪ねたらしい

と言っていたので、その件について話を聞くためです。

養蜂は2005年ぐらいにアメリカ人ボランティアが
勧めたもので、聞き取った感じではおそらく、
ラングストロース式の一段の大箱であったと思われます。
木の高いところに設置していたのが落ちて壊れ、そのまま放置。
シロアリに食われて終了。

ありがちな感じですね。

こうして各地の養蜂を見ていると、雨季にはほぼ確実に、
風雨で養蜂箱が転倒するということが分かってきました。
にもかかわらず、今まで見てきた日本語、フランス語、
英語のどの資料でも、そのことには全く触れられていません。

転倒するということを前提とした設置を考える必要があります。

話は変わって、一部しか聞き取れなかったのですが、
どうも、村人に「援助疲れ」があるようです。
今の俺らもまさにそうですが、セネガルは農村部にまで先進各国の
政府系プロジェクト、NGO、ボランティア、国際機関が入り込んでいます。

アメリカ人も、日本人も、FAOも『落花生ばかり栽培して
いては駄目だ』とか言って、あれやこれやを持ち込む。
しかし、結局は村人たちにやらせて後は、腕組みしたまま
その様子を視察して、パソコンで何かやっているだけだ。

と言っていたように思います。
とにかく、批判的な話だったかと。

一方、目に見える援助は喜ばれています。
それが、

村人たちと話していたところの近くに水道が
あって、それはアメリカ人が2004年に作ったもの。
「あれは、すごくいいぞ。」と、村人。
今のところ故障はなく、仮に故障しても
村の技術者で何とか直せるだろうとのこと。

水源は給水塔で、その給水塔は中国の支援でできたと言います。
給水塔の動力はガソリンエンジンで、その
ガソリン代は村人たちが捻出しています。
なるほど、一番よく見かけるベルギーの援助による給水塔とも、
メディナサバ村にある日本の援助による給水塔とも違う、
あのタイプの給水塔もちらほら見かけて
いましたが、あれは中国の援助だったのか。
中国の援助には批判が多いですが、とにかく、村人は喜んでいます。

やはり、水は喜ばれます。

植林について。
「ユーカリは売るの?」という質問はせずに、
「何のための植林?」という聞き方をしてみました。

まず返ってきたのは、「本当はマンゴーを植えた
かったけど、苗木が小さいのしかなく、諦めた」ということ。

次は、「カシューは実がなるが、村の子どもたちが食べる
だけ。それでもいいかなと思って、植えた。」ということ。
森林経営についての調査報告書では「カシューが
最も経済効率がいい」と書いてありましたが。

そして最後に返ってきたのが、「ユーカリは売るため」。

伐採木そのままで一本350fsで売っているとのこと。
そこで俺が「安いね」と言ったのは失敗だったかもしれません。
当然、その後、「うん、安いよ。」という話になります。

極力、俺が期待している答えを導くような質問や、
相槌は打たないでおこうと気をつけていたのですが。

会話の展開としては、先日のAmatの話の裏を取る形となり、
Amatの話と、このKohelの村人の話は一致しました。

村人はダカールでの市場価格を知っていましたし、
村人は丸太で売った方がいいことも知っていました。
しかし、商人は村人がお金のない雨季や、タバスキ
(イスラム教の犠牲祭)の頃に現れ、交渉が
ないまま、安値で買われてしまっています。

Kohelまでは未舗装ではあるものの、比較的ちゃんとした
道がありますが、国道まで馬車で村人がユーカリ材を
運んで行かないと、商人は買い取ってくれません。

当然、村人は今のような、ユーカリ材
取引に満足しているわけではありません。
丸太にするなり、交渉するなりして、手にできる現金収入を
上げることが可能になれば村人は大喜びするでしょう。
しかしながら、今の状況をなんとしてでも変えたい
というほどの、強い不満はないようにも思えます。
なぜならば、商人は安く買い叩くものの、村人から何かを
奪ったり、傷つけているというわけではないからです。
むしろ、お金のない時期に現れて、わずか
ながらではありますが現金収入をもたらしています。
そのような状況で、ニオロ地域でユーカリを所有する全村人に
対して「価格統制」することが果たして、現実的でしょうか。
ややもすれば、商人からだけでなく、村人からも
「余計なお世話」と受け取られかねない気もします。

ちょっと、クールダウンしました。

これからもいくつかの村を回って、村人の
ユーカリ材取引への意識を聞いていきたいです。

留学

今日は、先日行った、Kayemor村の養蜂箱を直しに行ってきます。
Kayemor村は遠いので、念のため、会う
予定の人に「今から行くよ」の再確認の電話。

「今日は会議だから、コリテ明け(断食明け)にして欲しい。」
、とのこと。

というわけで、午前中は近所の少年と世間話を
しながら洗濯をし、夕方、別の村に行こうと思います。
今は暑いし、セネガル人も昼寝している人が多いので、自宅待機です。

昨日、突然、大学院留学のことがおもむろに気に
なったので、がむしゃらになってネットで調べてみました。

同期隊員や、在ニオロの隊員たちも、帰国後は大学院留学を
考えている人が多く、みんな、いろいろ調べているみたいです。
俺は、この協力隊2年間の間に、大学院で学ぶべき専攻を
見つけ出したいと思ってはいるのですが、半年経った今の
時点ではまだ、特にこれといって見つかりません。
一時は、専攻が絞れないぐらいなら、進学しない方がいいとも
思っていましたが、将来、開発業界で仕事をするならば、
帰国後の29歳ぐらいにはやはり、修士号を取る
過程に入っておくべきかとも思いつつ。
協力隊後の進学については、奨学金を得るチャンスもあるようですし。

専攻が絞れないもんだから、
「英語とフランス語が学べたらいいな」という、実に、安直な
考えから、カナダのケベック州の大学院について調べてみました。
どうやら、カナダの大学院は英米と比べて学費、
生活費が安い割には、その研究レベルは高評価である、と。

なるほど。

「Development Studies(開発学)」に進む人も多い
ようですが、この専攻はあまりにも浅く広すぎて、専門性に
なりにくいので、違うキーワードで大学院のコースを検索。

water

今の活動では水にはほぼ関係してませんが、
実は、関心を持っている分野ではあります。
JICAの公募案件などを見ても、水関連のプロジェクトも多いです。

某大学院の「Bioresource Engineering」なる専攻がヒットしました。
そこでは何を学べるのか、そこに入るには何が必要なのか、いつ
頃から準備しなければいけないのか、などを調べていきました。
少なくとも、いきなり大学院ではなく、Academic Englishに
耐えられるだけの英語力をまずはつけないといけないので、
大学内の英語コースについても調べてみたり。

とりあえず今は、進学先探しの練習みたいなものなんで、何でもいいです。

こんな風景を見る日が来るのだろうか。

さて、洗濯物、乾いたかな。

ヒエをやめて、コメを始める。

(写真)Ousman氏。手前がコメ、奥がヒエ。

昨日は住民組織PENCのメディナサバ郡担当、

Ousman Tour?氏と一緒に、稲作をやって

いる村をいくつか回ってきました。

 

Medina Sabakhんぼから出発Diagl?,

Santie Dakhar, Mbapと、今まで行ったことの

ない村々を回ること4時間、距離は40km

JICAセネガル事務所の規定で、一日のバイク走行距離は

40km以内となっていて、ちょうど、その40kmでした。

 

この地区で稲作を始めたのはまだ2年ぐらいで、

地元NGOが種子、肥料と、稲作技術を提供しています。

コメの品種はSahel108Nerica6

 

俺は農業のことはよく分かりませんが、素人目に見た感じと、

村人の話によれば、虫害や病害はほぼ出てないようです。

農薬や殺虫剤も使っていないとのこと。

ただ、放牧されている牛に食われて

いる田んぼはありましたが。

 

稲作をする前は何を栽培していたのかと聞くと、ヒエ。

なぜ、ヒエからコメに転換する必要があるのかと聞くと、

ヒエは売価が約125fs/kgなのに対して、コメは約250fs/kg

しかし、コメは基本的には、

売るのではなく、食べるためです。

農民たちはヒエ、トウモロコシ、落花生などの

商品作物を栽培して売り、その金でコメ(主に、

東南アジアからの輸入米)などを買っています。

安いヒエを売って高いコメを買うぐらいなら、ヒエ栽培を

やめて、コメを自給した方がいい、というわけですね。

問題点を聞くと、ヒエ栽培に投入する肥料に比べ、

稲作に投入する肥料が若干、高価だそうですが。

 

JICAは「やたら」と言ってもいいぐらい、アフリカでの

稲作、特に、ネリカ米の普及に力を入れています。

戦後アメリカが、戦略的に日本に小麦食を広めたように、

日本もアフリカでの米食を広め、コメの輸出先にしようと

しているのだろうか、なんて考えたこともありましたが、

あながち、稲作の普及は悪くないのかもしれません。

実際、セネガルに来てみると、チェブジェン、スープ

カンジャ、ヤッサギナール、マフェといった、主だった

セネガルの伝統食のほとんどが、コメです。

セネガルでの米食の歴史は知りませんが、コメは

セネガル人にとって、既に、不可欠な食糧です。

植民地時代から商品作物の栽培が奨励されてきましたが、

今ではセネガル政府も、食糧自給を推奨しています。


技術的に見ても、Sahel108Nerica6

すくすくと、セネガルの大地で育っています。


という、一日。

(おまけ)

かまきりが現れた!

やり手の普及員

昨日の夕方からは、メディナサバ村のAmat Seck氏を訪ねました。
彼は、ニオロ県内に過去、入っていたJICAのプロジェクト、
PRODEFIでanimateur(普及員)として、メディナサバ郡内の
プロジェクト対象村で各種研修を開いたり、活動していました。
彼を知る日本人からも「やり手だ」と聞いていますし、村人たちも
彼のことを「頭の回転がいい」、「インテリだ」と認めています。

彼との会話はたいてい、フランス語です。

その彼を訪ねたのは、
・なぜ、村人は安くユーカリ材を商人に売ってしまうのか
・村人のユーカリ材販売益をなんとか、増大できないか
ということを質問、相談するためです。

PRODEFI時代に、森林経営研修というものが行われ、そこで
ユーカリ材の都市部における市場価格の情報や、
伐採木そのままではなく、丸太にして販売すれば
高く売れる技術などが村人に与えられました。
PRODEFIの報告書ではその効果あって、村人が商人の言い値の
まま売らず、場合によっては「売らない」という選択をする
などして、高値で売ることに成功したと書かれています。

では、どんどん市場価格情報や、丸太製材技術の研修を広めれば
よいのではないか、とAmat氏に問うたところ、答えはNon。

なぜならば、商人は村人が雨季農業のために出費を
重ね、家計が火の車の状態になったのを見計らって、
買い付けに来るので、売り手である村人は廉価で
あろうと、言い値のまま売ってしまうとのこと。
(ちょうど一昨日もある村で買い付けが行われていました。)

村人が、「1本250fsは安すぎる、500fsにしてくれ」と言えば、商人は
「どこそこ村のなにがしさんは250fsで売ってくれたのになぁ。」と、
嘘だか本当だかわからない話を、金をちらつかせながら村人を揺さぶる。
村人が「しかし、250fsでは売らない。」と言おう
ものなら、商人は次の村に行くだけのこと。
雨季前から作物の販売までの間は村人にお金がないから、250fsで
交渉をさせてしまう村人が現れるのに、そう、時間と手間はかからない。

村人が単価の高い丸太で売ろうとしても、商人はそれを断るだけのこと。

市場価格や丸太製材技術があっても、安売りしてしまう…。

俺の配属先である森林局の関心事は植林という事業と、
伐採・輸送の許可であって、販売にはほとんど関心がないよう。
ただ、いくつかの苗畑のように、潅水や除草などの手入れ不足の
ために枯死する苗や、定植のタイミング、場所の選定がまずい
ために枯死する苗、伐採の道具や方法がまずかったり、芽かきが
されずにうまく萌芽更新できない成木といった問題についての、
積極的な技術的な指導・研修は森林局に期待できるのかもしれません。

ニオロ林産協同組合も、価格についてはノータッチ。

ニオロ地区で今より、売価をあげた場合に、買い手である
商人が他の地域にユーカリ材を求めて流れてしまわ
ないかと聞いてみたところ、おそらく、それはないとのこと。

・現状、ニオロ地区が他の地区よりも価格が安すぎる。
・ニオロ地区ほど多く、ユーカリ材を入手できる地域がない。
・建設足場としてのユーカリ材の需要は十分にある。

彼の考える解決案は、Kepal(各村にある、開発
住民会議)、PENC(Kepalの上部組織)を通して
ニオロ界隈のユーカリ販売額を統一すること。
しかし、誰か村人が抜け駆けして安売りすれば、それで終わり。
統一価格を守ろうとして販売機会を逸した村人が損をするだけです。
また、逆に、抜け駆けをして安売りをしたことがばれたら、その村人が
村の中や、他の村から総スカンを食らうということも考えられます。
それを恐れて、生活が困窮しているのに、ユーカリ材を
すぐに売れないという問題も発生するかもしれません。

ユーカリ材の安売りは植林の問題だけでなく、安売り
せざるを得ない村人の家計の問題も絡んでいます。

俺の職種は村落開発普及員(animateur des communaut?s rurales)。
正直、日本人にもセネガル人にも説明しにくい職種です。
「で、何やるの?」、って。
なんせ、専門的な技術を持ち合わせているわけではないので。
今でこそ、村人よりは養蜂に詳しいつもりですが。
そんな、私、日本人animateurに、
セネガル人のやり手animateurから言われた言葉。

「本当に難しい。時間もかかる。しかし、やってみる価値はある。
 これができれば、お前はBon animateur(やり手の普及員)だ。」

と、同時に言われた言葉。

「もっと、フランス語を勉強しろ。」

養蜂箱、転ぶ。


(写真)大雨で陥没したり、水浸しになったりした道路。
でも、このぐらいのちゃんとした道路は工事して直します。

昨日は朝9時過ぎから夜9時前まで、ほぼ出ずっぱりでした。

午前中から夕方にかけては、養蜂箱のあるKayemor村へ。

あちゃー!

こちらも雨風で転倒してしまっています。
しかしご覧のとおり、蜂はいっぱい居ますね。
前任者が養蜂箱を設置したのはすべて、去年の乾季の間で、
どの養蜂箱にとっても今年の雨季が初めての雨季となります。
そして、そのすべてがこのように、転倒!

Kayemorの養蜂箱はテーブル状の木製の台に置いてありました。
村人のMoustafa氏と、対策を練ります。

M氏
「今度は壊れないように、金属製の台を鉄工屋に作ってもらおう。」


「かなりのお金がかかるだろう。それに、万一壊れると、
 それを直すのにまた、金がかかる。ブロックを4つ
 置いて、その上に載せるだけでどうだろうか。」

M氏
「ブロックの高さは55cm。大雨が降ると
 水が養蜂箱に入る危険性がある。」


「では、土で山を作って、その上にブロック、
 その上に養蜂箱でどうだろうか。」

M氏
「山が雨で浸食されて、崩れる。」


「他の村では木の股に置いて、枝で固定した。それはどうか。」

M氏
「養蜂箱は防犯を考えて、村の共有畑に置いている。
 その畑の中で移動するには、畑の管理者とも相談
 しないといけない。木を4本、地面に刺して足とし、それに
 横棒を渡した上に養蜂箱を置くのでどうだろうか。」


「Ndiawara村がそのやり方だ。あの村の養蜂箱も
 転倒したが、直すのは簡単だった。高さも確保されるから、
 水も入ってこない。それでいこう!」

というわけで、木の棒はM氏が用意し、9日に俺が
また村に来て、一緒に作業をすることになりました。

M氏とは、今後、メディナサバ郡内の養蜂家たちが道具や
防護服などを共有し、修繕・管理したり、養蜂の技術や
経験を共有するための組合が作れないだろうか、という話をした。
これから、他の村でも養蜂組合設立の話を
ちらつかせて、その可能性を探ってみたい。

前任者は養蜂を始めるという成果を残した。
俺は養蜂を続けるという成果を残してみたい。