奥地5村を巡る

昨日は奥地5村を回りました。

1村目:Ndiawara村(ンジャワラ村)
養蜂箱が2つあり、森林局の支援している地域苗畑もあり、地元
NGOのプロジェクトも入っている村で、俺も何度か通っています。
村の外交役であるIburahima Gueye氏(57歳)が、
うまく、援助を村に取り付けていると思います。
このエリアでは彼は、抜群の存在感を放っています。
最近、Kohelという村で、村人個人が数百本の植林を行いました。
苗木は森林局から、苗木を家畜に食われないための柵の資金は
行政から取り付けての植林なのですが、この柵を作って、
売ったのも、このNdiawara村ということが今回分かりました。
1つ1,000FCFAx100個なので、
100,000FCFAが村に入ったというわけです。
(ただ、代金が全額払われていないらしく、行政側ともめていますが)

2村目:Ndiagn?ne村(ンジャニェン村)
近所の布屋で知り合ったNdiagn?ne村の
人たちに会いに、行ってきました。


PRODEFI時代に植林された果樹と、地面はサツマイモ畑

PRODEFIの対象村でしたが、PRODEFI終了後は
日本の協力隊、アメリカのPeace Corps、国内外の
NGOなどの援助は入っていないようです。
俺も初めて来ました。


この村はバオ・ボロン川に面していて、その河岸
一帯にはユーカリが大量に植わっています。
PRODEFIの活動として2003年から植林が行われました。
国道にも、川にも近い村では大規模な植林が行われ、ユーカリ材の
買付のトラックもよく見かけるのですが、川には面しているものの、
国道からかなり離れたこの村で、こんなにも
大規模な植林地帯があるとは、驚きました。

しかし、前回のブログで書いたように、年1回だけ来る買付人の
提示額が安すぎて、ここ5年はユーカリ材を売っていません。
「こんなに高く成長した木を、1本300FCFA
(60円)なんかで売るもんか」と、村人は言います。

買付人は、交渉が成立したり、しなかったりしながら消費地に近い北の
方から、国道に近い方から、ユーカリ材を買い集めていきます。
たいてい、Ndiagn?neのような僻地に行き着く前に、
必要数を確保し、買付人は帰って行くわけです。


ゴミ箱ではありません。
これは、PRODEFIで供与された炭焼き用の窯です。
今も使われているとのこと。


「こうやって、ミントを鼻に詰めるといいぞ。」
村長の息子、陽気なおっさんです。

3村目:Keur Modo Diao村(クール・モド・ジャオ村)
この村のKeppaar代表と、PENC Medina Sabakhの
会議で会ったことがあるので、彼を訪ねました。
Ndiagn?ne村より更に、奥地です。

PENCの稲作普及プロジェクトで、種子、肥料、
尿素をもらい、今年から稲作を始めました。
しかし、村人曰く、

種子や肥料をもらったものの、コメなんか作ったことがないから、
どうやって作ればいいのか、分からない。
PENCからの技術指導もないし、誰も見に来やしない。
今、こうやって実っているように見えるけど、
これで良いのか、悪いのかも分からない。


俺も稲作について知識はないのですが、村人が
収穫した稲がこうやって干されているのを見て、
「『ヒエと同じようにやってみた』、ということなんだな」
と、思いました。

村の女性から、「染色や石鹸作りの講習を受けたい」、と言われ、
「近々、PENCの主催で、女性対象の染色講習会が
Keur Ayip村で開かれるよ」と紹介しました。
しかし、言った後で、しまった、と思いました。
Keur Ayip村というのは国道沿いの村。
一方、ここ、Keur Modo村は奥地の村。
地元住民組織主催でセネガル人による講座とは
いえ、彼女たちにとっては「遠い」話です。
俺自身の活動のキャパも考えつつ、石鹸講座ぐらい
ならこの村で開いてもいいかもしれません。

4村目:Ngu?y?ne2村(ンゲイェン・ドゥー村)
ここもPRODEFI対象村でした。
とりあえず、村長を訪ねて話をしてみましたが、
なかなか、話の糸口はつかめないまま、去りました。
しかし、帰り際、村長がこれだけは言っておかねばと
思ったのか、立ち上がって話しかけてきました。

この村にはユーカリ植林地はあるんだが、誰も買付人が来ない。
買付人の知り合いがいたら、電話して、
この村に来るように言ってくれないか。
多少、安くったっていいから。

5村目:Falifa村(ファリファ村)
ここもPRODEFI対象村でした。
奥地の村ですが、村に入ってまず、「この村はでかい」と直感。
実際、人口も家の数も多いようですし、
村には学校や給水塔もありました。
村に活気もあるように感じました。
K.ModoのKeppaar代表に紹介してもらった、
FalifaのKeppaar代表を訪ねましたが、留守。
村長も留守。
また、来ようと思います。

はじめは、前任者が養蜂箱を仕掛けた村ばかりを回っていましたが、
最近は、行ったことのない村にも少しずつ、足を運んでいます。
いろんな村を回る中で、村の規模、活気、援助の入り具合、リーダーの
存在、村どうしのねたみや嫉妬のようなものも垣間見えてきました。

個人育苗家たち

リゾートや、首都でのJICA式典などからメディナサバ村に
戻り、数日、休んだ後、昨夕から活動を再開しました。

昨日、近くの布屋さんで情報収集。
その布屋さんでは、Ndiagn?ne村出身の人が働いていて、
そこにはただ、世間話をするために同じく、
Ndiagn?ne村出身者たちが集まっていました。

Ndiagn?ne村は悪路をかなり走った先に
あり、まだ俺の行ったことがない村です。
しかし、この村も、JICAのプロジェクト、
PRODEFIの対象村となっていました。
俺の活動要請内容が、PRODEFIのフォローアップと
なっている以上、一度は足を運びたいと思っている村です。
Ndiagn?ne村周辺に他2村、PRODEFI対象村もありますし。

さて、そのNdiagn?ne村の人たちとの
世間話のような雰囲気の中、聞き取った内容。

1. ユーカリ材の買付人は、奥地であるNdiagn?ne村へも毎年来ている
2. しかし、買付人の言い値300FCFA/本が安すぎるとして、
 村人はここ5年間、交渉未成立のまま、伐採、販売をしていない
3. 育苗も村内でやっている
4. 育苗に必要なポットは、Ndiawara村から
 今年、20FCFA x 200袋を購入した
5. PENCの無償ポットは受け取っていない

国道から遠い村まで、買付人のトラックは来ているんですね。
しかし、言い値が安いために、「売らない」という選択をする村人。
一方、Ndiagn?neより国道に少しだけ近い、Ndiawaraでは
言い値の300FCFAで「売る」という選択をしています。
さて、どちらの選択が村人にとっていいのでしょう?
また、もし、この2村で売価の統一を図るとしたら?
正解が分かりません。
また、村へ実際に行って、考えてみます。

さてさて、村には個人で商売として育苗をしている人たちもいます。


Media Sabakh村のMamour Tour?氏の苗畑。
育苗ポットはやはり、不足しているので、道端にごみとして
捨てられたコーヒーの袋などを再利用して、育苗に使っています。
ロバ車に苗木を乗せて、1本500FCFA~で売り歩いています。


Keur S?te Diabou村のKeba Sys?氏の苗畑。
マンゴーの苗木に潅水しています。
こちらは、苗木を買いたい人がここまで自ら、買いに来るそうです。


同じく、Keba氏の苗畑のユーカリの苗木。

さすがどちらもプロです。
素人の俺が見ても、しっかり手が
行き届いていることが一目に分かります。

一方、我々の配属先である森林局や、隊員がサポートしている地域苗畑。
地域苗畑は誰が責任者で、誰が育苗の世話をして、誰が苗木を
販売or植林をして、最終的にその利益を誰が受けるのか、
というのが、まあ、ややこしいわけです。
そんなことや、そもそも、村人の育苗の知識や
技術が不足していたり、畑仕事の片手間になって
いるために、あまり手が行き届いていなかったり。
うまくいっている地域苗畑、うまくいっていない地域苗畑があります。

その点、Mamour氏は育苗20年、Keba氏も育苗10年
以上の経験と技術があり、彼ら個人のビジネスなので、
当然、育苗のモチベーションも高いです。
頑張ったら頑張った分、儲かります。

森林局などの支援を受ける地域苗畑を「開発事業」と位置づける
ならば、個人育苗家たちによる育苗は「民間事業」と言えます。
もちろん、個人育苗家たちによる育苗は小規模なので、それで地域内の
育苗がこと足りるというわけではありませんが、両苗畑を見た限りでは、
彼らの「民間事業」の方が成功していて、効率的なように見えました。

セネガルでリゾートデート

毎度、村落開発普及員臭の漂うこのブログですが、
今日は軟派な内容で書いてみようと思います。

マングローブ林広がる、サルームデルタ(内海)沿いの
トゥバクータ村へ、リゾートデートしてきました。
8月に養蜂村を見学しに行ったときに、この村にも
寄ったことがあって、今度は遊びに来ようと思って
いたところで、今回、遊びにやってきたわけです。

リゾートと言っても、この村までの道は劣悪でしたが。。。

ホテルはこちら、Keur Saloumで1泊2食。


(写真)撮影は8月

釣り船や遊覧ボートの発着するアリーナ、おしゃれなバーやレストラン、
プールなども付いた、どこからどう見ても、リゾートホテルです。

トゥバクータに着いた土曜の夕方に、
マングローブクルーズに行きました。
ホテルのクルーズはお高いので、知り合い
経由で紹介してもらったお兄さんのボートで。


船の準備中、暇だったのでずっと、カニを見ていました。
潮の引いた遠浅の浜辺は、カニだらけです。


出発。
マングローブ林が広がっています。
水際には牡蠣の養殖も見られました。


ひたすらボートでうろうろするだけかと
思いきや、小島への停泊がありました。
写真右下の白いのはすべて、貝殻です。
貝殻でできた島です。


アフリカっぽい、うっそうとした山林をうろうろしました。
オリエンテーリングを思い出します。

小島を出て、次は停泊はしないものの、
野鳥の集まる小島のそばへと行きました。


野生のペリカンです。
かなり大きく、飛ぶ姿は翼竜のようで、迫力がありました。


船着場へ戻る頃に、日暮れ。
静かな、よい場所、よい時間でした。

ホテルの夕食は、おしゃれなコース料理。
これまた美味しいロゼをいただきながら、えびの串焼き、
羊肉を焼いたものとかを食べ、デザートはバニラアイス。

翌、日曜日は俺の風邪が悪化(金曜に発病)して、
耐え難いのどの痛み、止まらぬ鼻水、微熱のため、
夕方までホテルの部屋で療養していました。
健康は大切です。

それから、ホテルを後にし、隊員宅訪問、JICAの式典
出席などでソコン市、ダカールなどへ移動し、今日、
メディナサバへ帰宅しました、というわけですな。

Bee Busters

昨日は養蜂の活動としては、いつもと違うことをしました。

PRODEFI時代の普及員、Amat Seckから、
「メディナサバ村内のある農地の木に、蜂の巣ができている。
蜂蜜を採りたいから、防護服を貸してくれないか」、と。
それで昨日、まずは2人で日中に現場を見に行きました。


超望遠なのでちょっと分かりにくいですが、
木の洞(うろ)に蜂が群がっているのが見えます。
どうやら、そこに蜂の巣があるようです。

Amatと、その農地の持ち主と話しをしてみると、どうやら、
蜂蜜を採るというよりは、蜂が居ては農作業中に刺されて
困るということで、駆除してほしいということのようです。
作業は同じ日の夜に、Amatと、採蜜の経験があるという
配管工、Baabacarとで行うことになりました。
BaabacarはNdiawara村の配水設備の見積もりで
一緒に仕事をしたことがありましたが、まさか、彼と
養蜂についても一緒に仕事をすることになるとは。

夜20時。
我が家に保管してある防護服2式を持って、
AmatとBaabacarと一緒に、村人のお宅へ。


防護服に身を包んだ、AmatとBaabacar。
なんとも、楽しそうです。

俺は彼らが木によじ登って、ライトで照らしながら
作業しているのを、村人の家から、見守るだけ。
本当、アナフィラキシーショックさえ
なければ一緒に作業したいところです。
蜂のブンブンという羽音もかすかに聞こえて
きて、その音すら、いとおしいものです。

しばらくして、彼らが戻ってきましたが、ポリバケツの中は空。
聞くと、木の洞が深く、その奥まった、手の届かない
ところに蜂の巣があって、取れなかったようです。
仕方なく、蜂を駆除するための殺虫スプレーだけかけてきたとのこと。

今回の作業、どういうわけか彼らは一箇所も蜂に刺されませんでした。
確かに、作業を終えてすぐに村人の家に戻って
きましたが、彼らに付きまとう蜂もいませんでした。
蜂の数は多かったものの、どういうわけか、
蜂たちは攻撃態勢をとらなかったようです。
う~ん、分かりません。

一夜明けて今朝、村でたまたまBaabacarに会って話したところ、
彼は気になって今朝、もう一度、昨夜の現場に行ってみたとのこと。
そしたら、もう蜂はいなかったようです。

蜂蜜は取れませんでしたが、目的は達成です。

さて、明後日からはリゾートと、養蜂組合視察と、JICAセネガル
30周年式典出席のため、1週間弱、お出かけしてきます。

養蜂組合

今日は朝から夕方まで、ほぼ一日中、村を回っていました。
さすがに、疲れました。

1村目、Santie Djiguimar村。
ここの養蜂箱の蓋が落ちたということで、防護服を貸していました。
俺はもう作業には加われないので、
村人が防護服を着て、一人で直しました。
村人が「もう、風で飛ばないように」と言って、針金を持ってきたので、

もったいない!
この針金は石積みの堰を作るときに使うでしょ。
また来年の雨季のために保管しときなさい。
お金と道具は大事に。

という話しをし、蓋の固定はその辺の丸太を重しとして乗せました。

その後、世間話をしつつ、さりげなく、植林系の話しを振ります。
この村は国道からも、河畔からも離れた内陸の村。
去年は買付人が来なかったものの、おととしは買付人がトラックで
村まで来たらしく、一本400~700FCFAで売ったとか。
何本売ったかと聞くと、「多かったよ」と言っていたので、
彼としては「うまい臨時収入」という印象だったのだと思います。
値段もかなり幅があり、うろ覚えなのかもしれませんが、俺が
今まで他の村で聞いた価格、一本300FCFAよりはいい値段です。

昼食をこの村でいただいて、次はKamara村へ。
初めて行く村で、道もなんとなくで延々、砂道を走行。
村っぽいところが見えたので、そっちへ行って、
「Kamara村はどこ?」と聞くと、第一村人、「ここだよ!」
そんなもんです。

Keppaar Kamaraの代表とメディナサバでの
会議で知り合ったので、彼を訪ねました。
俺の持ちネタは養蜂という話をしていたので、
当然、「養蜂箱が欲しい」と言われます。
最近、俺が考えているのは近隣の数ヶ村で小規模の養蜂
グループを作って、防護服などの道具を共同管理するというもの。
今は養蜂をやっている村同士がかなり離れて
いて、俺がバイクで道具を持ち運んで貸して
いますが、隊員がいなくなれば、どうするのか?
この辺りの村人は外国からの援助に
慣れているので、敢えてこういう話をしました。

もし今、俺があなたたちに養蜂箱や防護服をあげて、

それが壊れたら、それを直すお金、持ってる?

よく海外の援助で設備や機械をもらうでしょ。
でも、あげるだけで、そのうち壊れて、
村では直す技術やお金がなくて、そのまま。
そんなのでいいの?

村人、そうだ、そのとおりだ、良くない!という反応。
さすがに、養蜂箱は各村に要りますが、防護服
などの道具は年に数回しか使いません。
なので、道具は近隣村でひとつだけで十分です。
定期的に維持費を集金するか、蜂蜜の販売益の一部をためるか、
補修時に適宜、集金するかして、近隣村の養蜂家がそれぞれ、
無理ない程度の金額で維持できるようにしたいという構想です。

養蜂箱や道具の初期投資費も、住民からお金を出させた方が
オーナーシップをしっかり実感して、養蜂が継続するとも思います。
しかし、全額、住民が負担するというのは非現実的です。
外人である俺が、自分はリスクを負わず、成功するかどうか
分からない養蜂を無責任に住民に薦めることが果たして、いいのか。
それに、ここの住民は援助というものに慣れていますし、他の村では
住民の負担なしで養蜂を始めた村があることも知っています。
なので、俺+地元NGO+養蜂をやりたい村人でお金を
出し合って、養蜂箱+道具+次回補修のためのたくわえ
少々に充てるのがいいかなと思っています。
交渉です。

そういう養蜂組合の話しをちょっと喋ったり、植林の状況を聞いたり。
ここで得た新情報は、隣村、Keur Seteに
育苗で有名な村人が居るらしいということ。

というわけで、その村へ行きました。
育苗家、留守。
また今度来ます。

次に、Keur Katim Peul村へ。
ここの村のKeppaarの代表、Baabacar Baとは、赴任間も
ない頃から顔見知りでしたが、この村に来たのは初めてです。
Baabacarは口数は多くなく、冷静沈着で、賢そうな顔をしています。
俺が彼の家に行ったときもまず、ノートを出してきて、
「2010年10月18日、Pierreが来た」と記録していました。
普通の村人レベルでは考えられません。
また、過去の協力隊隊員や、地元NGO、FAO
などとも一緒に活動をしてきた経験も持っています。

彼とも、養蜂組合の構想について意見交換をしました。
彼は養蜂の経験はないものの、組織化を行う
上では重要なキーパーソンになるかもしれません。

国境でAIDSを食い止める

今日はPENC Medina Sabakhの会議が、
Medina Sabakhで行われました。

地元NGOスタッフが2人、PENC Medina Sabakh代表が1人、
各村に置かれているKeppaarから24人、それと、
Thies州Thiadiaye市から対AIDSの地元NGO、
SIDA Serviceのスタッフが2人。
こういう面々でした。

会議の前半は、SIDA Serviceスタッフを中心
として、AIDS対策の活動計画についてでした。
PENC Medina Sabakhに属する村の
多くが、隣国ガンビアと国境を接しています。
人の往来が多い国境地帯でのAIDSの蔓延を防ごう、というわけです。
実際、セネガル、ガンビア両国境の市、
村には数人のAIDS患者がいるようです。
会議に出席したメンバー、老若男女問わず、
AIDS対策の必要性を口々に発言していました。

昼食の後、会議の後半では先日のPENC総会を受けて、
これからの10~12月期のPENC Medina Sabakhと
しての活動計画の確認と、日程調整が行われました。
稲作の収量調査、家畜の保健講習、接木講習、
女性対象の染色講習などが行われるようです。
俺ら、森林局配属の隊員もフォローしている、地域苗畑を
持っている村の代表からは、植林講習の要望も上がりました。
また、別の男性からは「うちの村の女性たちが石鹸
作りを習いたいと言っている」といった意見も出ました。
なんと活発なことか。

俺も、セネガル人のセネガル人によるセネガル人の
ための講習がどういうものか見ながら、既に要望の
上がっている養蜂研修を計画していきます。

Ndiawara村で行われている「薬草ライドールプロジェクト」の、
ライドールの葉が会議終了後に販売されました。
1袋100FCFAで、みんな、こぞって買っていました。

会議が終わり、出席者には1人500FCFAが払われました。
日本人の感覚からすれば「え?」と思うかもしれませんが、村人は
村での農作業や家事や世間話するという用事を放り出して、
馬車、徒歩、自転車などで会議にやってくるのです。
そのための費用です。

さて、帰宅後は、昨日からごりごり、
作っております、ひとりPCMの続きです。
煮詰まってきました。

≪説明≫
PENC(ペンチ):
Keppaarの集合体。
ニオロ県全域とカフリン州の一部の、communautaire
rurale(村落共同体。日本にはない行政単位で、
郡と村の間。)ごとに組織されている。
計10PENCある。
ウォロフ語での意味は「大木の下の集会場」。
村人にとっての世間話をする場のこと。
日本風に言えば、「井戸端」になりますか。

Keppaar(ケパール):
開発問題全般について討議する住民組織。
PENCのある地域の全村で組織されている。
ウォロフ語での意味は「木の枝」。
近隣のKeppaar間でInter Keppaar
という結びつき、連携を持っている。

村が現場

ここ最近、会議に出席しに出かけることが多いです。
明日も、PENC Medina Sabakhの会議に行ってきます。

が、村が現場です。

今日は養蜂村の一つ、Ndiawara村へ行ってきました。
今日の目的は、カートリッジへの蜜蝋付けの作業です。
7月に俺も村人も経験と知識がなかったがために、
箱内の巣を全部取ってしまった養蜂箱にその後、蜂が
戻ってこず、9月に箱を一旦、掃除して、再設置。


しかし、それでも蜂がつかないので、蜂の巣がぶら下がる予定の
カートリッジ(木の棒)に、蜜蝋をこうやって付けていきます。

これで、再び、再設置。
さて、蜂が戻ってきてくれるかどうかは、
インシュアラー(إن شاء الله :アッラーの思し召しのままに)です。

俺のメインの仕事はこれだったんですが、他にも、稲作の様子を
見て回ったり、その途中で井戸に落ちかけたりもしました。
危険がいっぱいです。


ここ数日、村で女性対象の識字教室が行われているようです。
講師はニオロ市から派遣されていて、その
出資元はノルウェー政府と言っていました。

夕方には、地元NGO、Endaのメンバー一行と、PENC
Medina SabakhのOusman氏がやってきました。
薬草であるライドールの栽培、加工、販売を
支援するプロジェクトの視察と、フォローのためです。


5月に播種したものが、収穫できる頃になりました。
この葉を摘み取って、乾燥させて、粉にして、袋に詰めて、売ります。


畑の視察の後、プロジェクトの対象である村の女性たちを集めて、
栽培において何が大変だったかなどのヒアリングが行われました。

あと、気になる、木の話も聞いてきました。

今まで聞いていた情報と同じだったのは、

1.ユーカリは木材として売るために植林をしている
2.木1本を300FCFAで販売している
3.丸太にして売ると高く売れることを村人は知っている
4.でも、買付人は丸太では買わない
3.伐採の労賃として、村人に一本当たり50FCFAが払われる

今まで聞いていた情報と違っていたのは、

Ndiawara村は国道から未舗装道路で10km強ほど内陸に
入ったところにあるにも関わらず、買付人は大型トラックで
Ndiawara村まで毎年、1~2回、買い付けにやって来るということ。
聞くと、Ndiawara村よりも更に奥地まで買い付けに行くようです。
更に、村人と買付人は既に知り合いで、お互いに、
携帯電話でやり取りもしているとのこと。
昨年は800本売れたらしいです。
もちろん、市場価格からすれば買い叩かれているわけですが、
今日は敢えて、そのことを俺から口に出さなかったので、
村人が売価の不満を口にすることはありませんでした。

ふむふむ。

PENC総会

ニオロ県内と、カフリン州の一部に組織されている10のPENCの
役員たちがニオロ市にある地元NGO、Symbioseに集結。
各PENCの2010年3月から5月までの活動の振り返りと、10月から
12月までの活動計画を立て、それをPENC間で共有するというものです。
(6月から9月はどうした!?)
Symbioseには宿泊施設もあって、出席者
たちはそこに泊り込んでの、2日間という日程。

これに、俺と同居隊員も参加してきました。

われらがメディナサバ郡の
PENC Medina Sabakhからは6人が出席しました。
みんな、知っている人たちです。
他のPENCのメンバーの面々を見ても、知っている顔がちらほらと。

予定から1時間後に、開会。
ネイティブスピードのウォロフ語にはほとんどついて
いけませんが、各村々の開発リーダーの集まりと
だけあってか、力強い演説が、まぁ、続く、続く。


演説もひと段落着いたところで、各PENCごとに分かれて、
3~5月の活動結果をこうやってまとめます。(写真)
ここに来ている人たちはたいてい、読み書きはできるので、書きます。


書いたら、貼り出して、発表します。
われらがPENC Medina Sabakhの代表、Ousman氏です。
活動内容としては、地域内での稲作の普及や、雨季の土壌浸食を
防ぐための石積み、育苗のためのポット配布などがありました。

1日目は12時に始まって、途中、昼休憩を挟んで、19時半ぐらいに終了。
俺はそれから、ニオロ市内の隊員宅で泊まりましたが、
出席者たちはおそらく、夕食後に10~12月の
活動計画を書き出す作業をしたようです。
2日目はその計画の発表をして、16時ぐらいに終了。

日本人の感覚からすれば、「その活動は誰に対して、どのぐらいの
裨益・効果をもたらしたのか」等々、追求したい点もありました。
また、気になる活動資金源は、地元NGO、Symbioseの潤沢な
資金が元になっていて、さらに、その資金源はオーストリアの
開発系NGO、HORIZONT3000です。

「なんだ、結局は外国のパトロンがついているのね」という話には
なるのですが、それでも、地元のセネガル人たちで計画、
実施、振り返り、共有をしている開発プロジェクトという
だけでも、注目するに値するように思います。
一方、日本はじめ、先進各国や国際機関等、開発事業に
経験も資金力も持っている開発ワーカーですら、
なかなか成果が出せずに批判されることが多々あります。
そんな中で、オーストリアのNGOからどーんとお金をもらって、
セネガル人たち自らが試行錯誤しながら地元を
発展させていこうとしても、良いんじゃないでしょうか。

そんなことを考える機会を得れたことが一つ。

もう一つ得れたことは、PENC Diama Gadioとのつながり。
今年に入って初めて、村に養蜂を導入し、
今後、規模を拡大していく計画のようです。
Diama Gadioはかなり遠く、行くとしたら泊まりがけになるの
ですが、ここの代表は俺と年齢も近そうで、さらに、
頭が切れそうな、できるセネガル人です。
しかし、残念なことに、彼の名前は、Bakaさんです。

関係者分析

土日連続で、朝から夕方まで遠出して村に居て疲れたというのもあり、
昨日はバイクの運転中に砂にタイヤを取られたときに足をついて
捻挫して痛いというのもあり、今日は引きこもりでした。

先日の日記で書いたように、ひとりPCMを始めました。
改めて、PCMのテキストも読んでみたり。
さて、PCMのメインともなる、問題分析と目的分析に
入る前に、関係者分析というのがあります。
あるプロジェクトを行う上で、それに関わる主体(ステークホルダー)を
洗い出し、それぞれの強みや弱みなどを明らかにする作業です。
問題分析や目的分析は本当に、頭を使う作業であるのに対して、
関係者分析はそうでもなく、あくまで、「序章」といった感じです。

が、その序章に、ほぼ、まる一日かかってしまいました。
ひとえに、「村」と言っても、その立地
条件によって、状況は大きく異なっています。
農耕地や放牧地と競合しない植林地である、
バオボロン川の岸からどれぐらい近いか。
買付人がやってくる国道からどれぐらい近いか。
また、その村は植林をやっているのか、育苗を
やっているのか、もしくは、その両方をやっているのか。
そんなこんなで「関係者:村」は計10パターンに及びました。

その他、木材の買付人、木炭の買い手、森林局、住民組織PENC、
地元NGOのSymbiose、我々、青年海外協力隊、アメリカ人
ボランティアのPeace Corpsなどといった関係者が洗い出されました。

次に、その関係者が何者であるかという基本情報、
その関係者の持つ問題・弱点、どんな希望・期待を
持っているかというニーズ、強み、対応策、今後、確認
すべき情報をそれぞれ、書き出していきました。

これまた、大変でした。

しかし、時間がかかったということは、今まで、それだけ、
頭の中で整理ができていなかったわけで、それを
整理していくのに時間がかかったというわけです。

明日も、続きをするつもりでしたが、地元NGO、Symbioseの総会が
明朝からニオロ市であるとの情報を得、同居の隊員、PENC
メディナサバ代表のOusman氏、PENCメンバーで育苗職人の
Mamour氏とそれに行ってくることにします。

ひとりPCM

ここ1週間ぐらいは、ちょこちょこ、村へは足を
運んでいますが、特に、活動は進んでいません。

今日も、会いに行こうと思っていた森林技官も、住民組織の
地区リーダーも、養蜂をやっている村人も、電話で
アポを入れようとしたら、みんな、外出中でした。
しかし、そのうちの住民組織PENCのメディナサバ郡リーダーは明日、
Kayemor村でそのPENCの会議があって、それに行くというので、
それに同行させてもらうことになりました。

明後日は、ユーカリなどの植林、販売などを支援する組織の会議が
Mambi Toukouleur村であるので、それに行ってきます。

さて、養蜂についてはNdiakh?ne村のPapa Seck氏とこれから、
話を詰めていって、養蜂研修の開催にこぎつけ、まだ養蜂を始めて
間もない村人の、技術レベルを向上させたいと思っています。
セネガル人が講師で、セネガル人が受講生という研修を、俺が
初コーディネートしていくわけですが、ここは、村落開発普及員の
師匠と呼ばせていただきましょう、Amat Seck氏にもアドバイスを
いただきながらすすめていくつもりです。

ユーカリ植林については、俺の脳内が混沌としています。
村人、先輩隊員、森林技官たちから話を聞き、プロジェクトの
報告書を読み漁って、情報は入りつつあるのですが、
なんというか、問題の構造が複雑で、頭の中が整理できません。
養蜂は、頭の中にごちゃごちゃと羅列していた知識や経験を、
とりあえず、養蜂マニュアルという名目で、内容を章立てして
文章化してみることで、自ら今後、確かめるべきことや、試して
みるべきことなどが明らかになってきたかなと思います。
ユーカリ植林についても、あれやこれやを章立てして文章化
しようと、数日前からパソコンとにらめっこをして目次の
構成は出来上がったものの、どうも、ぱっとしません。
このまま文章を書いていっても、頭の中が整理できる気がしません。

そこで、本来は地元住民たちを巻き込みながら行う参加型の
開発援助手法、Project Cycle Management
(PCM)を、自分ひとりでやってみようと思います。
大学5回生のゴールデンウィークに、某開発コンサルタント
企業主催のセミナーでこのPCMについてみっちり、受講。
村落開発普及員を対象とした事前研修でも、このPCMは習いました。
今回、初めて使います、ひとりで、ですが。

とにかく、まずは自分の中で、関係者分析、問題分析、
目的分析をやってみて、頭の中の整理をして、
それから次のアクションを取っていきたいです。

用意するものは付箋と、カレンダーの裏紙と、ペン。

さて、始めようと思ったら、眠くなったので寝ます。