セネガルからの手紙


先日のブログで、メディナサバ第二小学校と、高松
第一小学校との文通が始まる、というのを書き
ましたが、今日はそれの件で学校へ行ってきました。
行くとちょうど、教室で子どもたちが手紙を書いているところでした。


「そのまま少し待ってたら、みんな書き終わるから
待って」と文通担当の先生(左)に言われ、その間、
校長先生(中央)や教頭先生(右)と世間話など。


しばらく待つと、手紙完成。
9歳から12歳ぐらいの子供たち
40人がフランス語で手紙を書きました。
家族のこと、学校のこと、村のこと、ご飯のことなど。
高松の学校に手紙と一緒に同封するために、手紙を
書いた子供たちの写真を2人ずつ撮っていきました。

なんやかんやでお昼ぐらいになり、帰宅して
早速、手紙の和訳に取り掛かりました。
そうして気づいたことは、あまりにも
似通った文面が多いということ。
名前をまず書くのは当たり前として、あと、年齢、身長、
村内の区の数、郡長の名前、国旗の構成などを、ほぼ
同じ文面で書いている子供たちがすごく多かったです。

俺はこれまで、学校教育に関わったことがなかった
ものの、教育系隊員からよく聞く、セネガルの
教育方法が見えてきた気がしました。
セネガルでの教育は「模倣」が基本。
先生の言ったことを復唱し、先生が
黒板に書いたことをノートに書く。
正解がひとつあって、それと同じなら
褒められ、それと違うと叱られる。
まねをすることは得意でも、オリジナルな考えを
持つことは苦手、というのを聞いたことがあります。
冷蔵庫養蜂箱はかなりオリジナルでしたが)
席順で集めた手紙は、ある程度、席の近い子たちどうしで同じ
ような文面になっていたので、近くの席で誰かがお手本的な
存在になって、それを周りの子がまねたのかもしれません。

おかげで、和訳する俺としては楽なわけですが。
しかし、そんな中にも「僕はかっこいい男の子です」と、かなり大きく
出た少年がいたり、家族紹介で「お母さん『たち』」と書いて、
おそらく日本の小学5年生が初めて知るであろう一夫多妻に
ついて触れた児童もいたり、「私がこうやって、
日本に手紙を書けることはアッラーのおかげ」と、
日本人にはなじみのない宗教に触れた児童もいたり、
「夏休み中は畑作業をします」と書いている児童も。

逆に意外だったのは、まだ10枚しか訳してませんが、
今のところ、「○○を送って欲しい」と書いた子がいないこと。
セネガルでは「○○ちょうだい」を聞かない日はないぐらいなのに。
もはや、挨拶みたいなものです。
実際、セネガル人どうしでもあげたりもらったりは日常茶飯事で、
ましてや、日本人なんかは恰好のターゲットになるわけです。
俺が中学生のときにガーナ人と文通をしていたときも、よく、
「Nintendo Gameboy」を要求されていました。
お行儀の悪いことを書いたら、先生に叱られるのでしょうか?

うん、なかなか楽しいものです。
来週ぐらいに投函予定。
さて、高松の児童はどんな反応をするでしょうか。

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