高松とメディナサバをつなぐ

今日は、養蜂研修や枠堰建設などで一緒に行動
することの多い、フリーの地元開発ワーカー(?)、
Amat Seck氏の新居へ行ってきました。


国立土壌研究所で枠堰建設の仕事を
請け負って働き、その給料で建てた家。
お金が足らず、まだ塗装、トイレ・シャワー、電気工事などが完了して
いませんが、来年からは奥さんと一緒にここに住む予定みたいです。


この家の前に広がる土地では野菜栽培を始めたようです。
彼自身は農民ではなく、彼が農作業を
しているところは見たことがありません。
しかし、農民対象の研修で教える側の立場には何度か
立っていて、さすが、きれいに整備された畑です。
オクラ、唐辛子、レタス、キャベツ、にんじん、玉ねぎなど、かなりの
種類の野菜を栽培するようで、今はそれらの育苗中です。

そのあと、彼と一緒に、メディナサバ第2小学校を訪ねました。
前回、この小学校を訪ねたときに、ここの校長先生から、
「うちの児童たちと、日本の小学生とで国際交流、たとえば、
文通なんかできないだろうか」と話を持ちかけられました。

実は俺も、中学3年生の頃に国際文通を始めました。
当時は英語があまり好きではなく、成績も良くなかったの
ですが、文通で英語を実際に使うことで、初めて、英語が
コミュニケーションのツールとなり、英語が好きになっていきました。

また、ちょうどそれぐらいのときから、海外に興味が出てきました。
テレビや新聞を通してのニュースやドキュメンタリー番組ではなく、
ガーナ、ブルガリア、ウクライナの同世代のペンパルから自分に
ダイレクトに届く、彼らの国のはなし、暮らしのはなし、
家族のはなしというのは、本当に刺激的で新鮮でした。

文通を始めて5年後の2002年にはガーナ、ブルガリア、ウクライナを
旅して、ペンパルたちと実際に会うにまで至りました。
ブルガリアとは途絶えてしまったものの、ガーナ、ウクライナの
ペンパルとは今でもネットでチャットをしてつながっています。

今、こうして青年海外協力隊としてセネガルで暮らして
いますが、今の自分の国際感覚の基礎は、今思えば、
あのときの国際文通で得たものなのかもしれません。

話がそれてしまいましたが、そういうわけで、ぜひとも
セネガル・日本国際文通をサポートしたいと思い、
さっそく、高松で教員をされている方に連絡。
その方に紹介いただいたのは、
高松市立第一小学校の5年生のクラス。
この第一小学校というのは、俺が通っていた松島小学校が、
周辺の小中学校5校と合併してできた新設校です。
高松市中心部の少子化は深刻です。
その、第一小学校が、メディナサバ第2小学校との
文通を快諾してくれたとの連絡が入ったので、その
ことを学校に伝えに行ってきたわけです。


子どもたちに説明をするAdama Cisse教頭。

日本のTakamatsuという街の小学生と
文通したい人は、紙に手紙を書きなさい。
それを、このPierre Meissaがフランス語から
日本語に訳して、日本の学校に送ってくれます。
また、日本からもみなさんに手紙が来ます。
手紙には何を書いてもいいぞ。
学校のこと、村のこと、家族のこと、家畜のこと、なんでも良い。
頑張った人は、日本に連れて行って
もらえるかもしれないぞー ←冗談です

さて、うまく高松とメディナサバの
子どもたちをつなげることができるかな。

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