帰国後のこと(3)

続編、(3)です。


(写真)地元住民組織の開発計画会議

「いや、自分の暮らしを犠牲にしても、国際協力を!」
という理屈もあるかと思います。
しかし、その国際協力というものに対しても、考えが変わってきました。
先進国側による国際協力、援助が要らないとは言いません。
要ります。

しかしながら、そういった事業は途上国側に有能な
パートナーが居てこそ、成しえるものであると実感します。
パートナーというのは、例えば、途上国側の政治家や役人だったり、
技官、医療関係者、教員だったり、村の組合長だったり、
もしくは、村の一若者も開発事業の有能なパートナーと成りえます。

逆に、途上国側に有能なパートナーが見つからなければ、開発
事業は成功を見なかったり、プロジェクト期間中は成果を出しても、
終了後の継続はしなかったり、ということです。

そして、事業のターゲットがよりローカルであればあるほど、
その担い手は先進国からの外人開発ワーカーではなく、
途上国側のパートナーであるべきであると思います。

一年間を通しての、農業や遊牧などの生業サイクル、気候の移り
変わり、学校の長期休暇、定期市は何曜日か、お金や時間の
価値観、冠婚葬祭などの慣習、村と村との軋轢、人間関係など、
そこに住む人なら誰でも知っていること。
そんな当たり前のことを外人開発ワーカーは知らない
まま、気づかないままにプロジェクトを進めていって、
「ん?どうしてうまくいかないんだ?」という具合。
もしくは、そんなへまはするまいと、資料を読み込んだり、
住民への聞き取り調査をかけたりする、
慎重な外人開発ワーカーもいるわけです。
地元民なら当然知っていることを知る
ために、時間と費用と労力をかけて。

極端に言えば、現地に超有能なパートナーさえ
いれば、ドナー側(先進国)は必要な資金と機材を
投入してさえいればいいのかもしれません。

ここ、セネガル共和国のメディナサバ村に暮らしてみて、地元の
有能なセネガル人たちに出会って、感化されすぎでしょうか?

帰国後のこと(1) (2)

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