昨日は奥地5村を回りました。
1村目:Ndiawara村(ンジャワラ村)
NGOのプロジェクトも入っている村で、俺も何度か通っています。
村の外交役であるIburahima Gueye氏(57歳)が、
うまく、援助を村に取り付けていると思います。
このエリアでは彼は、抜群の存在感を放っています。
最近、Kohelという村で、村人個人が数百本の植林を行いました。
苗木は森林局から、苗木を家畜に食われないための柵の資金は
行政から取り付けての植林なのですが、この柵を作って、
売ったのも、このNdiawara村ということが今回分かりました。
1つ1,000FCFAx100個なので、
100,000FCFAが村に入ったというわけです。
(ただ、代金が全額払われていないらしく、行政側ともめていますが)
2村目:Ndiagn?ne村(ンジャニェン村)
近所の布屋で知り合ったNdiagn?ne村の
人たちに会いに、行ってきました。
PRODEFI時代に植林された果樹と、地面はサツマイモ畑
PRODEFIの対象村でしたが、PRODEFI終了後は
日本の協力隊、アメリカのPeace Corps、国内外の
NGOなどの援助は入っていないようです。
俺も初めて来ました。
この村はバオ・ボロン川に面していて、その河岸
一帯にはユーカリが大量に植わっています。
PRODEFIの活動として2003年から植林が行われました。
国道にも、川にも近い村では大規模な植林が行われ、ユーカリ材の
買付のトラックもよく見かけるのですが、川には面しているものの、
国道からかなり離れたこの村で、こんなにも
大規模な植林地帯があるとは、驚きました。
しかし、前回のブログで書いたように、年1回だけ来る買付人の
提示額が安すぎて、ここ5年はユーカリ材を売っていません。
「こんなに高く成長した木を、1本300FCFA
(60円)なんかで売るもんか」と、村人は言います。
買付人は、交渉が成立したり、しなかったりしながら消費地に近い北の
方から、国道に近い方から、ユーカリ材を買い集めていきます。
たいてい、Ndiagn?neのような僻地に行き着く前に、
必要数を確保し、買付人は帰って行くわけです。
ゴミ箱ではありません。
これは、PRODEFIで供与された炭焼き用の窯です。
今も使われているとのこと。
「こうやって、ミントを鼻に詰めるといいぞ。」
村長の息子、陽気なおっさんです。
3村目:Keur Modo Diao村(クール・モド・ジャオ村)
この村のKeppaar代表と、PENC Medina Sabakhの
会議で会ったことがあるので、彼を訪ねました。
Ndiagn?ne村より更に、奥地です。
PENCの稲作普及プロジェクトで、種子、肥料、
尿素をもらい、今年から稲作を始めました。
しかし、村人曰く、
種子や肥料をもらったものの、コメなんか作ったことがないから、
どうやって作ればいいのか、分からない。
PENCからの技術指導もないし、誰も見に来やしない。
今、こうやって実っているように見えるけど、
これで良いのか、悪いのかも分からない。
俺も稲作について知識はないのですが、村人が
収穫した稲がこうやって干されているのを見て、
「『ヒエと同じようにやってみた』、ということなんだな」
と、思いました。
村の女性から、「染色や石鹸作りの講習を受けたい」、と言われ、
「近々、PENCの主催で、女性対象の染色講習会が
Keur Ayip村で開かれるよ」と紹介しました。
しかし、言った後で、しまった、と思いました。
Keur Ayip村というのは国道沿いの村。
一方、ここ、Keur Modo村は奥地の村。
地元住民組織主催でセネガル人による講座とは
いえ、彼女たちにとっては「遠い」話です。
俺自身の活動のキャパも考えつつ、石鹸講座ぐらい
ならこの村で開いてもいいかもしれません。
4村目:Ngu?y?ne2村(ンゲイェン・ドゥー村)
ここもPRODEFI対象村でした。
とりあえず、村長を訪ねて話をしてみましたが、
なかなか、話の糸口はつかめないまま、去りました。
しかし、帰り際、村長がこれだけは言っておかねばと
思ったのか、立ち上がって話しかけてきました。
この村にはユーカリ植林地はあるんだが、誰も買付人が来ない。
買付人の知り合いがいたら、電話して、
この村に来るように言ってくれないか。
多少、安くったっていいから。
5村目:Falifa村(ファリファ村)
ここもPRODEFI対象村でした。
奥地の村ですが、村に入ってまず、「この村はでかい」と直感。
実際、人口も家の数も多いようですし、
村には学校や給水塔もありました。
村に活気もあるように感じました。
K.ModoのKeppaar代表に紹介してもらった、
FalifaのKeppaar代表を訪ねましたが、留守。
村長も留守。
また、来ようと思います。
はじめは、前任者が養蜂箱を仕掛けた村ばかりを回っていましたが、
最近は、行ったことのない村にも少しずつ、足を運んでいます。
いろんな村を回る中で、村の規模、活気、援助の入り具合、リーダーの
存在、村どうしのねたみや嫉妬のようなものも垣間見えてきました。