今日は朝から夕方まで、ほぼ一日中、村を回っていました。
さすがに、疲れました。
1村目、Santie Djiguimar村。
ここの養蜂箱の蓋が落ちたということで、防護服を貸していました。
俺はもう作業には加われないので、
村人が防護服を着て、一人で直しました。
村人が「もう、風で飛ばないように」と言って、針金を持ってきたので、
もったいない!
この針金は石積みの堰を作るときに使うでしょ。
また来年の雨季のために保管しときなさい。
お金と道具は大事に。
という話しをし、蓋の固定はその辺の丸太を重しとして乗せました。
その後、世間話をしつつ、さりげなく、植林系の話しを振ります。
この村は国道からも、河畔からも離れた内陸の村。
去年は買付人が来なかったものの、おととしは買付人がトラックで
村まで来たらしく、一本400~700FCFAで売ったとか。
何本売ったかと聞くと、「多かったよ」と言っていたので、
彼としては「うまい臨時収入」という印象だったのだと思います。
値段もかなり幅があり、うろ覚えなのかもしれませんが、俺が
今まで他の村で聞いた価格、一本300FCFAよりはいい値段です。
昼食をこの村でいただいて、次はKamara村へ。
初めて行く村で、道もなんとなくで延々、砂道を走行。
村っぽいところが見えたので、そっちへ行って、
「Kamara村はどこ?」と聞くと、第一村人、「ここだよ!」
そんなもんです。
Keppaar Kamaraの代表とメディナサバでの
会議で知り合ったので、彼を訪ねました。
俺の持ちネタは養蜂という話をしていたので、
当然、「養蜂箱が欲しい」と言われます。
最近、俺が考えているのは近隣の数ヶ村で小規模の養蜂
グループを作って、防護服などの道具を共同管理するというもの。
今は養蜂をやっている村同士がかなり離れて
いて、俺がバイクで道具を持ち運んで貸して
いますが、隊員がいなくなれば、どうするのか?
この辺りの村人は外国からの援助に
慣れているので、敢えてこういう話をしました。
もし今、俺があなたたちに養蜂箱や防護服をあげて、
それが壊れたら、それを直すお金、持ってる?
よく海外の援助で設備や機械をもらうでしょ。
でも、あげるだけで、そのうち壊れて、
村では直す技術やお金がなくて、そのまま。
そんなのでいいの?
村人、そうだ、そのとおりだ、良くない!という反応。
さすがに、養蜂箱は各村に要りますが、防護服
などの道具は年に数回しか使いません。
なので、道具は近隣村でひとつだけで十分です。
定期的に維持費を集金するか、蜂蜜の販売益の一部をためるか、
補修時に適宜、集金するかして、近隣村の養蜂家がそれぞれ、
無理ない程度の金額で維持できるようにしたいという構想です。
養蜂箱や道具の初期投資費も、住民からお金を出させた方が
オーナーシップをしっかり実感して、養蜂が継続するとも思います。
しかし、全額、住民が負担するというのは非現実的です。
外人である俺が、自分はリスクを負わず、成功するかどうか
分からない養蜂を無責任に住民に薦めることが果たして、いいのか。
それに、ここの住民は援助というものに慣れていますし、他の村では
住民の負担なしで養蜂を始めた村があることも知っています。
なので、俺+地元NGO+養蜂をやりたい村人でお金を
出し合って、養蜂箱+道具+次回補修のためのたくわえ
少々に充てるのがいいかなと思っています。
交渉です。
そういう養蜂組合の話しをちょっと喋ったり、植林の状況を聞いたり。
ここで得た新情報は、隣村、Keur Seteに
育苗で有名な村人が居るらしいということ。
というわけで、その村へ行きました。
育苗家、留守。
また今度来ます。
次に、Keur Katim Peul村へ。
ここの村のKeppaarの代表、Baabacar Baとは、赴任間も
ない頃から顔見知りでしたが、この村に来たのは初めてです。
Baabacarは口数は多くなく、冷静沈着で、賢そうな顔をしています。
俺が彼の家に行ったときもまず、ノートを出してきて、
「2010年10月18日、Pierreが来た」と記録していました。
普通の村人レベルでは考えられません。
また、過去の協力隊隊員や、地元NGO、FAO
などとも一緒に活動をしてきた経験も持っています。
彼とも、養蜂組合の構想について意見交換をしました。
彼は養蜂の経験はないものの、組織化を行う
上では重要なキーパーソンになるかもしれません。